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日本の女優 ウィキペディアから
1.宝塚歌劇団のスターで、劇団理事。本項で記述。
2.バラの品種の一。1.に因んで命名。1960年兵庫県伊丹市で作出
天津 乙女(あまつ おとめ、1905年(明治38年)10月9日 - 1980年(昭和55年)5月30日[1])は、宝塚歌劇団団員(元月組主演クラス・月組組長)。のちに同劇団理事をつとめた[2]。本名鳥居 栄子。愛称エイコさん。
天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ(あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ をとめのすがた しばしとどめん)
から命名された。
1918年(大正7年)に宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)初の東京公演が行われた際の生徒募集に応じて入団し[2]、初瀬音羽子や久方靜子らと共に東京出身者として初の団員(生徒)となった[3]。歌劇「パリゼット」をはじめ、「棒しばり」「奴道成寺」など数多くの舞踊の作品に出演し[2]、日本舞踊の名手として女六代目[注釈 1]の異名をとった。1933年( 昭和8年)3月、新設された舞踊専科の責任者に転属して以来後進の指導に尽力し、多くのスター団員を育てた[2]。
40年間にわたって日本舞踊に精進した功績が認められ、1958年(昭和33年)に紫綬褒章を受章している[2]。 1980年(昭和55年)5月30日、在団のまま死去、享年75。谷中霊園に墓があり(位置・甲1号1側。桜通りから3基目、北側)、墓誌は本名「鳥居栄子」名義である。
没後、宝塚歌劇団100周年記念の2014年に殿堂入り[4][5]。
妹は雲野かよ子と池邊鶴子(新字体:池辺鶴子)[6]。いずれも宝塚の所属で、芸名の「雲野かよ子」は天津乙女と同じ歌に由来する。かよ子も天津乙女と同時に殿堂入りを果たしており[4][5]、タカラジェンヌで唯一の殿堂入り姉妹となった。また、弟の鳥居正一郎は阪急百貨店社長を務めていた[7]。
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