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塑像(そぞう)は、可塑性のある軟材を用いて形成された立体造形のこと。泥像、泥塑、捻、塐(素)などとも呼ぶ[1]。
二次元的な芸術表現(絵画)に対して三次元的な芸術表現を総称して彫刻(広義の彫刻)といい、これには木や石などを彫り刻む彫像(カービング)と心棒に粘土など可塑性素材を肉付けしていく塑像(モデリング)がある[2]。塑像は広義には刻出像(彫像)に対する捻出像をいい、第一に刻出像が硬材を主に用いるのに対して捻出像は軟材を用いること、第二に刻出像は最初に絵画的な把握を行い造形されるのに対して、捻出像は最初から立体的に把握しながら造形されること、第三に刻出像は基本的に外から内に向かって削りながら完成するのに対して、捻出像は形象の骨をとらえて次に肉付けを行い立体的に形成されることなどを特徴とする[1]。
塑像を刻出像に対する捻出像と解すると、史的考察の分野は著しく拡大され、古代の土偶のようなものも含まれる[1]。しかし、その後の塑像の発達は原始的な土偶とは異なる別の系統から発生し発達したものとされ、具体的には西域の石窟寺院のスタッコ(スツツコ、化粧しっくい)の手法が起源になっているとされる[1]。
塑像の代表的な素材には粘土や焼石膏などがある[2]。
焼石膏は水に反応して凝結し硬化する性質があり、その過程で若干膨張する[2]。焼石膏が彫塑に用いられるようになったのは古代ギリシャで、ルネサンス期には技術的に頂点に達したとされる[2]。またルネサンス期には耐火レンガの粉を混ぜた鋳造用の型材が開発された[2]。
19世紀末から20世紀初頭のアルベルト・フォン・ル・コックやオーレル・スタインの西域探検で各地で塑像が発見された[1]。その特徴として次のような点が報告された。
これらをテラコッタ等と比較すると格段の技術的発達がみられる[1]。
ただし、西域塑像が素材の本質を発揮するにはかなりの時間的経過を要し、その多くは壁面に付着した半肉彫だったため、純粋な立体芸術としての発達までは進まなかったとされる[1]。
奈良県當麻寺金堂本尊の弥勒仏坐像は7世紀後半にさかのぼる作で、日本最古の塑像と言われている。日本では、塑像の作例は奈良時代に集中しており、木彫が彫刻界の主流となった平安時代以降(おおむね9世紀以降)の塑像の作例はまれである。以下に、国宝指定物件を中心に、著名な作例を挙げる。
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