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日本の江戸時代後期の武士。江戸幕府旗本向山吉之丞長男。勘定組頭・勝手方御用・箱館奉行支配組頭等を歴任 ウィキペディアから
向山 源太夫(むこうやま げんだゆう)は、江戸時代後期の旗本。諱は篤。通称が源太夫。誠斎と号す。別号に偶堂。向山黄村を養子に迎えている。
蔵米100俵取りの旗本、向山吉之丞の長子として誕生した。文化14年(1817年)に家督を継ぐ。
小普請組から天保元年(1830年)に書物御用出役に任ぜられ、天保9年(1838年)に奥右筆に転ず。幕府保管文書のうち、興味をひくものを私に筆録し始める[注釈 1]。天保の改革にさいし、旧慣先例の調査に功績ありとして、天保14年(1843年)に勘定組頭に抜擢[1]。勝手方御用となり、老中・土井利位の財政改革に協力するが、土井の失脚と共に勘定方を免ぜられる。
安政2年(1855年)5月、新設された箱館奉行支配組頭に就任し、開港準備、蝦夷地経営にあたる。安政3年(1856年)に西蝦夷と樺太の調査のため、松浦武四郎を同行させ、樺太の全島調査を終えた頃に病にかかり、ヲトシマナイ(宗谷村)に戻って8月10日に死去[注釈 2]。12月14日、箱館の称名寺で葬儀。享年56。
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