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北緯36度30分線(ほくい36ど30ふんせん)は、地球の赤道面より北に地理緯度にして36度30分(36.5度)の角度を成す緯線である。
この緯線は、ミズーリ妥協におけるミシシッピ川以西の奴隷州と自由州の境界として使用され、アメリカ合衆国の歴史において特に重要である。例外として、ミズーリ州の州域の大半はこの緯線より北にあるが、奴隷州とされた。
アメリカ合衆国では、北緯36度30分線がいくつかの州の州境となっている。テネシー川とミシシッピ川の間ではテネシー州とケンタッキー州の州境となっている。セント・フランシス川より西ではミズーリ州とアーカンソー州の州境であり、オクラホマ州(オクラホマ・パンハンドル)とテキサス州(テキサス・パンハンドル)の境界もこの緯線である。バージニア州とノースカロライナ州、バージニア州とテネシー州、テネシー州とケンタッキー州の州境の一部は、この緯線の近くに設定されている。
ケンタッキー州とテネシー州の州境は、1665年にバージニア植民地とカロライナ植民地の境界として英国王により定義(Royal Colonial Boundary of 1665)されたものである。1779年から1780年にかけて、測量士がテネシー川までの境界を確定するために派遣された。彼らが西に向かって測量する間に少しずつ北にずれてゆき、テネシー川に到着したときには北緯36度30分線よりも約10分北にずれていた。それにも関わらず、境界は測量された線で設定された。テネシー川より先のミシシッピ川までの区間については、1819年にこの地域での原住民との紛争が解消されるまで測量されなかった。最後の部分は、ミシシッピ川を起点として東経36度30分からずれることなく測量された。
ミシシッピ川における北緯36度30分線の測量の精度が相対的に良かったことから、米国議会は、アーカンソー準州の北の境界として北緯36度30分線を西側に延長することを決定した[1]。ただし、ミズーリ州南東部では、北緯36度30分線を超えてミシシッピ川に沿って北緯36度線まで突出しており、ミズーリ・ブーツヒールと呼ばれている。これは、この地域の主要な政治家が、1836年にアーカンソー州になったアーカンソー準州よりもミズーリ州に属した方が有利だと感じていたためである。
1820年のミズーリ妥協により、西部の領土では北緯36度30分線が奴隷制が合法となる北限に設定された。この妥協の一環として、マサチューセッツ州の一部が分離したメイン州は自由州として認められた。この追加により、上院における自由州と奴隷州の議席数のバランスが維持された。
ミズーリ州の大部分は北緯36度30分線よりも北にあるが、ミズーリ州南東部に住んでいた南部の農場主は奴隷制を支持していた。ミズーリ妥協はここから生じたものである。また、南部の奴隷州は、上院が奴隷制を廃止できないように、別の奴隷州の支援を得たいと考えた。ミシガン州・ウィスコンシン州・アイオワ州が自由州として、アーカンソー州・フロリダ州・テキサス州が奴隷州として合衆国に加盟したため、この状況は数十年続いた。
1845年にテキサス共和国が奴隷州として合衆国に加盟したとき、北緯36度30分線以北にある領有を主張していた土地を連邦政府に譲り渡す必要が生じた。この土地は後にカンザス州、コロラド州、ニューメキシコ州、オクラホマ州の一部になった。1850年協定により、北緯36度30分線がテキサス州の北の境界であることが確認された。その後、カンザス州は1861年に自由州として合衆国に加盟した。
1850年のニューメキシコ準州とユタ準州、1854年のカンザス準州、1861年のコロラド準州[2]の創設により、西部準州の1つであるニューメキシコの境界が北緯37度線よりも北に移動した。ニューメキシコ準州は最終的にニューメキシコ州とアリゾナ州の2つの州に分割されたが、これは憲法修正第13条により米国全土で奴隷制度が廃止されてからかなり後の1910年代のことである。
テキサス州の北の境界は北緯36度30分線、カンザス州・コロラド州の南の境界は北緯37度線であり、この2つの境界の間はどこの州にも属さない" No Man's Land"(誰もいない土地)と呼ばれた。1889年にオクラホマ州に編入され、オクラホマ・パンハンドルと呼ばれるようになった。
ラスベガスを含むネバダ州の主要部分は北緯36度30分線よりも南にあり、1861年にネバダ準州が発足した時点ではニューメキシコ準州(1863年以降はアリゾナ準州)に属していた。この土地は、1871年に連邦政府によってアリゾナ準州からネバダ州に移管された。
1850年協定では、カリフォルニアを北緯36度30分線に沿って分割することも、奴隷制を許可することも行わなかった。カリフォルニア・ゴールドラッシュにより形成された社会的・政治的条件により、そのような考えは排除された。実際、カリフォルニアはすぐに自由州として合衆国に加盟が認められた。
アメリカ南北戦争(1861〜65年)の間、北緯36度30分線より南に位置する全ての州がアメリカ連合国に加わった。ケンタッキー州とミズーリ州は通常の議会と並行して選出された南軍の議会を有していたが、バージニア州を除き、北緯36度30分線より北の土地を持つ全ての州は合衆国に留まった。また、奴隷州であるメリーランド州は、エイブラハム・リンカーン大統領の指揮下で北軍に占領されたため、州議会は合衆国から脱退しないという投票をするよう圧力をかけられた。リンカーンや米国議会の他のメンバーは、首都であるワシントンD.C.が南軍の州に囲まれ他の州から遮断されることを防ぐために、メリーランド州が合衆国に留まることを望んでいた。メリーランド州が合衆国を脱退していたら、連邦政府はフィラデルフィアなどの北のどこかの都市に遷都せざるを得なくなる所だった。
北緯36度30分線は、本初子午線から東に向かって以下の場所を通っている。
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