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前橋の火葬場は、1886年(明治19年)にコレラ対策のため横山町ほか36か町村共有で、勢多郡朝倉村に避病院と焼室(火葬場)が設置されたことに始まる。避病院は1890年(明治23年)に天川大島村、1895年(明治28年)にさらに一毛村に移転になったため、焼室も移転新設することとなり、1893年(明治26年)に勢多郡木瀬村大字天川大島字供養塚に建設された。翌明治27年より供用が開始された[1][2]。当時は周辺は田んぼであり人家はなかった。
近代化した旧斎場は、1971年(昭和46年)に竣工し、高さ50mの火葬棟があり、目立つ存在であった。1972年(昭和47年)に斎場棟が完成している[2]。
旧斎場が老朽化していたことから、同じ敷地内で稼働しながら建て替える計画が立てられた。現在の施設は2007年に着工し、2011年(平成23年)2月に竣工した。設計は山下設計、施工は大成建設である。象徴的であった50mの煙突は取り壊されている。
所在地 前橋市天川大島町1丁目31−1
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