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李氏朝鮮第3代国王太宗の王妃 ウィキペディアから
元敬王后閔氏(げんけいおうこう・びんし/ウォンギョンワンフ・ミンシ、1365年7月29日 - 1420年8月18日)は、李氏朝鮮第3代王・太宗の正妃。本貫は驪興閔氏。
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閔氏は高麗末期、閔霽(びん・せい)の娘として開京(現・開城)で生まれ、実家は儒教の名門であった。17歳のころ、将軍でのちに朝鮮の初代王となる李成桂の五男・芳遠と結婚、当初は夫婦仲が良好で4男4女を儲けた。彼女は夫とともに朝鮮建国に貢献し、政敵に狙われていた芳遠を暗殺の危機から救い、政権奪還に成功させた。
1400年、芳遠は第3代王・太宗に即位し、閔氏は王后に就いた。しかしそれを引き換えに彼女の不幸な後半生の始まりであった。太宗は後宮を多数抱えたことで夫婦仲が悪化、太宗による外戚勢力一掃で弟たち四兄弟が粛清され、世子(のちの譲寧大君)の不品行に悩まされ、さらに自分の廃位の危機に立たされた。しかし太宗は彼女の功績を顧み、尊厳を守った。だが不幸は続き、溺愛していた四男・誠寧大君が天然痘で14歳で夭折し、その死を悲しんだ。ただ王后にとっての幸福は三男・忠寧大君が第4代・世宗として即位したことである。1418年に太宗の譲位に伴って王大妃となったのち、1420年、薨去。
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