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佐貫 亦男(さぬき またお、1908年(明治41年)1月1日 - 1997年(平成9年)6月28日 )は、日本の航空技術者、航空宇宙評論家、作家、エッセイスト。
秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)生まれ。秋田県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)卒業、1931年(昭和6年)に東京帝国大学工学部航空学科を卒業した。
東京帝国大学卒業後、軍命で日本楽器製造(現ヤマハ)に赴きプロペラの設計を行う。陸軍の九七式戦闘機を担当した。1941年に、ユンカース社からフルフェザー機構・圧縮木材製プロペラ技術導入のため、第二次世界大戦最中のドイツに出張する。
しかし同年6月に、独ソ戦開戦のためにドイツからソビエト連邦に直行するシベリア鉄道経由の帰路が絶たれ、1943年11月まで在独し、その後中立国を迂回する形で帰国した。大戦中のドイツを民間人の立場から観察した著作は貴重な記録である。
第二次世界大戦後は気象庁で風速計の開発に携わり、その後東京大学教授、日本大学教授を務めた。さらに『引力とのたたかい-とぶ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。著作は専門の航空工学やロケット工学から生物学、ヨーロッパアルプスの山歩きにまで及んでおり、「道具を通した比較文化論」が特に優れている。また、ドイツカメラの愛好者としても知られており、その著作もある。
晩年は航空評論家として活躍した。しかし大きな飛行機事故があるとマスコミに登場する事が多く、本人はこの肩書きを嫌っていたと言われる。航空機に関わる随筆集「ヒコーキの心」シリーズ、その続編「飛べヒコーキ」シリーズは、豊富な知識と独特の世界観、航空機への愛情などが豊かに表現され評価が高く、マニアに今でも読み続けられている。
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