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リチャード・ティー(Richard Tee、本名: Richard Edward Ten Ryk、1943年11月24日 - 1993年7月21日)は、アメリカ合衆国のミュージシャンでピアニスト、キーボーディスト、アレンジャー。ニューヨーク州ブルックリン生まれ。1970年代後半にフュージョン・バンド「スタッフ」のピアニスト、キーボーディストとして活躍し、スタッフ解散後はソロやセッション・ミュージシャンとして、ジャズ、フュージョンなど幅広い分野で活躍した。卓越した演奏技術や、メロウなローズ・ピアノ・プレイなどでも知られる。
幼少時からクラシック音楽の教育を受け、ニューヨーク音楽芸術高校を卒業し、マンハッタン音楽学校に入学した[1]。卒業後の1965年に、スタジオ・ミュージシャンとして活動を開始し、さまざまなミュージシャンとセッションを行った。彼はキング・カーティスと共演したほか、アレサ・フランクリンやロバータ・フラックのバッキングも担当している。
1967年にベーシストのゴードン・エドワーズが「エンサイクロペディア・オブ・ソウル」を結成。それを母体にしたバンドが、1970年代にニューヨークのライブハウス「ミケルズ」で、流動的なメンバーでセッションを繰り広げていたが、ティーは1974年頃からこのセッションに出入りするようになった。このバンドは1976年に、フュージョン・バンドの「スタッフ」としてデビューした。メンバーはゴードン・エドワーズ(ベース)、リチャード・ティー(キーボード)、エリック・ゲイル(ギター)、コーネル・デュプリー[2](ギター)、スティーヴ・ガッド[3](ドラム)、クリストファー・パーカー(ドラム)。1980年に解散するまで、このバンドは5枚のアルバムをリリースした。
バンドと並行してソロとしても活動していたティーは、スタッフ解散後もポール・サイモンのレギュラー・キーボーディストとして活動したり、スティーヴ・ガッドの「ザ・ガッド・ギャング」にも参加している。
ソロ活動としては、1978年にボブ・ジェームスのレーベル、タッパン・ジー(CBSレコード配給契約)と契約し、アルバム『ストローキン』と1980年にアルバム『ナチュラル・イングリーディエンツ』をリリース。1985年には日本のキングレコード傘下であるエレクトリックバードよりアルバム『ボトム・ライン』をリリース。1988年にA Touchレーベルと契約、翌年にアルバム『インサイド・ユー』をリリース。1992年に日本のビデオアーツのOne Voiceレーベルよりアルバム『リアル・タイム』をリリース。
1993年7月にニューヨーク州ブロンクスにて前立腺癌で死亡した。49歳であった。
参加アルバムは400枚を超えている。
ハンク・クロフォード
その他
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