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マリヤ・シュヴァルノヴナ(ロシア語: Мария Шварновна、1158年頃 - 1205年 / 1206年3月19日[1])は、ウラジーミル大公フセヴォロドの最初の妻である。正教会の聖人。
マリヤはヤス人(Яс / オセット人の旧称)の公女であるとされているが、後世の史料に基づきモラヴィア出身とみなす説もある[2]。前説の、マリヤがカフカス出身とする場合、夫となるフセヴォロドとの出会いはおそらく1169年か1170年のグルジアであると推測される。なおマリヤをカフカス出身とする説中の一説によれば、マリヤの3人の姉妹も、アンドレイ・ボゴリュブスキー、ムスチスラフ・スヴャトスラヴィチ、ヤロスラフ・ウラジミロヴィチの3人のルーシの公に嫁いだという[3]。いずれにせよ、夫のフセヴォロドがウラジーミル大公となった1176年には既に結婚しており、1178年には2人の間に最初の子が生まれている。マリヤは4人の娘・8人の息子[2]を産んだ。息子のうちの4人がのちにウラジーミル大公位に就いている。
大公妃となったマリヤは書籍・学問・芸術を庇護し、その信心深さと聡明さによって、後世にはキエフ大公妃オリガやビザンツ皇后テオドラ(共に正教会の聖人)と並び称されることになった。末子のイヴァンの誕生(1197年)後に重病を発し、修道院の建設の誓いを立てた。1200年に[4]、その誓いに従いウラジーミルに、後世にはマリヤを称える名を冠されることになる修道院(ru)(現ロシアでУспенский Княгинин монастырьと呼ばれている。転写と直訳:ウスペンスキー(生神女就寝)・クニャージニン(公妃)・モナストィリ(修道院)。)を建設した。
マリヤという名は、死の18日前に剃髪式(постриг)を行い、修道名として得た名前である。
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