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競走馬 ウィキペディアから
ボルジア (Borgia) はドイツの競走馬。牝馬ながら1997年のドイチェスダービー、バーデン大賞に勝った。1997年のドイツ年度代表馬。
母ブリタニアはG2ドイチェスセントレジャーなど重賞3勝。半弟には2001年のドイチェスダービー、2002年のコロネーションカップを制したボレアルがいる。
2歳時は2戦して2着・3着と勝ちきれなかったが、3歳になった1997年に初勝利を挙げるとパルトナー賞、ディアナトライアルと3連勝、ディアナ賞2着を挟んで出走したドイチェスダービーではバルーンを破って優勝し、1955年のルスティゲ以来42年振りとなる牝馬によるドイチェスダービー制覇を達成した。次走オイロパ選手権では前走破ったバルーンに敗れて2着となったが、ドイツ最大の競走であるバーデン大賞では古馬のルソーを破って優勝し、1958年のダシュカ以来39年振りとなる牝馬によるバーデン大賞制覇の快挙を達成した。
そしてボルジアはドイツ国外へと戦いの舞台を移し、フランスの凱旋門賞ではパントレセレブルとピルサドスキーに続く3着、アメリカのブリーダーズカップターフではチーフベアハートの2着と健闘した。1997年はGI競走2勝を含む9戦5勝2着3回3着1回という成績で終え、ドイツ年度代表馬に選出された。
4歳となった1998年は3月のドバイワールドカップに出走したが、競走中に屈腱炎を発症し、生涯最低着順となる8着で競走を終えた。
ドバイワールドカップでの屈腱炎発症後、ボルジアをフランスのアンドレ・ファーブル厩舎に移籍して現役を続行することが発表された。ボルジアは1998年10月に牝馬限定戦のG3競走であるフロール賞で競走に復帰したが、復帰初戦は1番人気を裏切る2着と敗れた。
1999年、5歳となってからもG3競走のエクスビュリ賞とジョッキークラブステークスで1番人気を裏切る敗戦を重ね、G1競走のコロネーションカップとサンクルー大賞ではともに5着と惨敗した。9月にはG2競走のフォワ賞でエルコンドルパサーをクビ差に追いつめ苦しめるも、続く凱旋門賞では7着、ジャパンカップでも8着と惨敗した。引退レースとなったG2競走の香港ヴァーズで1着になり、実に13戦振りの勝利で引退レースを飾った。
2000年に繁殖入り。
繁殖牝馬としては11頭の産駒をもうけ、2010年に生まれたオアシスドリームとの仔Bermuda Reef がアルマスドカップ(独G3)に優勝している。
2012年3月29日、繋養先のアメルラント牧場で疝痛のため死亡した。
ボルジアの血統(ダークロナルド系 / Owen Tudor 5×5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Acatenango 1982 栗毛 |
父の父 Surumu1974 栗毛 |
Literat | Birkhahn | |
Lis | ||||
Surama | Reliance | |||
Suncourt | ||||
父の母 Aggravate1966 鹿毛 |
Aggressor | Combat | ||
Phaetonia | ||||
Raven Locks | Mr.Jinks | |||
Gentlemen's Relish | ||||
母 Britannia 1985 鹿毛 |
Tarim 1969 青鹿毛 |
Tudor Melody | Tudor Minstrel | |
Matelda | ||||
Tamerella | Tamerlane | |||
Ella Retford | ||||
母の母 Bonna1978 鹿毛 |
Salvo | Right Royal | ||
Manera | ||||
Birgit | Altrek | |||
Borinage F-No.14-b |
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