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ニューポール 17(フランス語:Nieuport 17)はニューポール社によって製作された第一次世界大戦時のフランスの複葉戦闘機である。
ニューポール 17は、先行するニューポール 11をやや拡大したタイプで、より強力なエンジンと大きな翼を持ち、全体的に洗練された構造を持っていた。初めは110馬力のル・ローヌ9Jエンジンを装備していたが、後期型では130馬力エンジンに強化された。17は傑出した運動性と優れた上昇率を発揮したが、その「セスキプラン」と称する一葉半の主翼の下翼はその単桁構造の故に脆弱であり、飛行中に分解する不都合な傾向を持っていた。
ニューポール 17は当初ニューポール11が装備していた翼の上のルイス機銃を引き継いでいたが、フランス軍では間もなくこれをプロペラ同調式のヴィッカース機銃に置き換えられた。イギリス陸軍航空隊では、翼の上のルイス機銃は、改良されたフォスター銃架(パイロットが弾倉を交換したり、弾詰まりを除去できるように曲がった金属製のレールがついたもの)と大容量の97発ドラム弾倉を利用することによって続けて使われた。両方を装備したものも数機あったが、それがもたらす重量の増加などによって性能悪化がもたらされるため、1挺のみの機銃とするのが標準であった。またニューポール11同様、ごく少数機には対気球用に翼の支柱にロケット弾を装備した機体もある。
ニューポール17は1916年3月に部隊配備が始まり、速やかにフランス軍のニューポール11と交替を開始した。また当時のどのイギリス戦闘機よりも優れていたため、イギリスの陸軍航空隊や海軍航空隊からも発注を受けた。1916年の一時期、フランス航空部隊のすべての戦闘機隊がニューポール 17を装備したということは特筆に値する。ドイツは、捕獲した数機のニューポール17を自国のメーカーに与えてコピーさせた。それがジーメンス・シュッケルト D.Iで、エンジン装備が異なるほかはそっくりだった。これは実際に生産に移されたが、西部戦線で使われることはなかった。
1917年になると、ニューポール戦闘機はアルバトロス D.IIIなどの新型のドイツ戦闘機に圧倒されるようになった。そのため新たにニューポール 24や27が開発されたが、1917年半ばにはSPAD S.VIIがニューポールに替って多くのフランス戦闘機隊に装備されていた。イギリスはもう少し長くニューポールにこだわり、1918年前半までニューポール24bisを使用し続けた。
ニューポールを使用してヴィクトリア十字章を受章したカナダの撃墜王ウィリアム・ビショップや、もっとも有名なアルバート・ボールなど、多くの撃墜王たちがニューポールを使用した。
その他の型のニューポール機と同じく17も、第一線を退いてからは戦闘機パイロットの卵たちの高等練習機として使われ続けた。
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諸元
性能
武装
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