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この項目では、タトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)が製造した路面電車車両(タトラカー)のタトラT3(タトラT3SU)のうち、ソビエト連邦(ソ連)(→ロシア連邦)の首都・モスクワの路面電車であるモスクワ市電に導入された車両について解説する。1963年から1988年まで計2,084両の大量導入が実施され、長期にわたって使用されていたが、後継車両の導入により2021年までに営業運転を終了した[2][3][4][7][8][9][10][11][6]。
タトラT3SU (モスクワ市電) | |
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基本情報 | |
製造所 | タトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ) |
製造年 | 1963年 - 1988年 |
製造数 | 2,084両(合計) |
運用開始 | 1963年 |
運用終了 | 2021年 |
投入先 | モスクワ市電 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,524 mm |
電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 55 km/h |
設計最高速度 | 65 km/h |
起動加速度 | 1.8 m/s2 |
減速度(常用) | 1.8 m/s2 |
減速度(非常) | 2.3 m/s2 |
車両定員 |
131人(着席36人)(2扉車) 133人(着席23人)(3扉車) |
車両重量 | 17.0 t |
全長 | 15,100 mm |
車体長 | 14,000 mm |
全幅 | 2,500 mm |
車体高 | 3,050 mm |
車輪径 | 700 mm |
固定軸距 | 1,900 mm |
台車中心間距離 | 6,400 mm |
主電動機 | TE 022 |
主電動機出力 | 40 kw |
歯車比 | 7.43 |
出力 | 160 kw |
制御方式 | 抵抗制御(間接自動制御) |
備考 | 主要数値は[1][2][3][4][5][6]に基づく。 |
第二次世界大戦後のモスクワ市電は、地下鉄開通などによる路線の廃止を経てもなお1961年の時点で総延長491.3 km(うち旅客路線423.3 km)、系統数は45に達する大規模な路線網を有していた。その中で望まれていたのは、モスクワ市電を走る車両の近代化や性能向上であった。1960年代初頭、モスクワ市電では主力車両として多数のソ連製電車が移籍していたが、戦前製のM-38や戦後初期から長期生産が行われたMTV-82は旧来の機構を有する前時代的な車両であり、その他のソ連各企業製の路面電車車両も生産速度が遅く、モスクワ市電側の需要を満たすまでには至らなかった。また、戦前に市電向けの車両を製造していたソコリニチェスキー車両修理工場もトロリーバス製造に移行していたため、新型電車の開発は望めなかった。そこで白羽の矢が立ったのは、経済相互援助会議(コメコン)体制下の元で大量生産が行われていた、チェコスロバキア(現:チェコ)のタトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)製の路面電車車両・タトラカーであった[7][12][13][14]。
1959年にモスクワ市電最初のタトラカーとして登場したソ連向け車両のタトラT2SUは品質や性能、量産体制が高く評価され、1962年までに180両が導入された。その成果を受け、旧型車両の置換用として1963年から生産・導入が始まったのが、タトラT3を基にソ連向けの改良を実施したタトラT3SUである[13][15]。
T2よりも軽量化した車体や流線形の前面形状、多段式抵抗制御装置を始めとする機器など主要な構造はチェコスロバキア向けに製造されたタトラT3と同様だが、車内の座席配置は右側が2人掛け、左側が1人掛けのクロスシートとなっており、[注釈 1]運転台がない車体後方には3人掛けのクロスシートが存在する。また寒冷地での運用を考慮して客室と運転室の間が壁によって区切られている他、車内の暖房装置の強化が行われている。車体右側に存在する乗降扉は製造年によって個数が異なり、1977年まで導入された車両は車掌の乗務を前提とした前後2箇所であった一方、1978年以降に導入された車両は信用乗車方式への対応により前・中央・後の3箇所に設置されている[10][16][17][18][19]。
従来のソ連製の路面電車は運転台からの速度制御に、架線から集電装置を通り電動機へ伝わる電流を直接制御器を使って操作する「直接制御方式」を用いたが、タトラT3を含めたタトラカーは架線よりも低い電圧が流れる速度制御用の回線を別途設けた間接制御、その中でも自動的にノッチ進段を行う「間接自動制御方式」を採用している。この方式は安全性が増し速度制御が容易となる利点が存在する一方、従来の車両とは操作が異なるため、タトラT2SUの配属が行われていなかった車庫では1970年代まで習熟訓練が行われた[20][21]。
1963年末から営業運転を開始したT3SUは毎年50 - 100両のペースで大量生産が行われ、1976年の時点で在籍数は856両となった。これにより、モスクワ市電に在籍していた旧型車両の置き換えが急速に進み、M-38を含めた戦前製の車両やタトラカーと同時期に導入されたRVZ-6は1974年までに営業運転から退き、その後も残存したMTV-82や先代のタトラカーであるT2SUなどの車両についても1981年に引退した。予算不足で配給が停止された1988年までT3SUの導入は続き、翌1989年時点の在籍車両数は1,220両にも達した[22][9][10][11][23][7]。
製造総数は2,084両で、T3を導入した都市では最大の導入数となったが、導入から15年程度で廃車された初期の車両を始め、T3による老朽化したT3の置き換えも実施されていたため全車が揃う事は無かった。加えて1990年以降はKTM-8を始めとしたソビエト連邦・ロシア連邦製の路面電車車両の導入によって更なる置き換えが進み、初期に導入された乗降扉が2箇所の車両は1996年までに引退した。一方で残存する車両に対しては後述する通り修繕・近代化工事が継続して行われており、1998年以降は路面電車修理工場(TRZ、ТРЗ)[注釈 2]による更新工事が進められた。2019年時点での在籍数は185両で、地下鉄建設によって2つに分断されたモスクワ市電の両系統で使用されていたが、71-931M「ヴィチャズ」や71-911EM「ライオネット」、71-414「フォックストロット」といった超低床電車への置き換えが進んだ結果、2021年8月までに営業運転を終了した[7][8][22][25][26][6][27]。
これらのモスクワ市電から撤退したタトラT3のうち、一部車両については修繕を加えた上でタトラカーが使用されるロシア連邦の他都市への譲渡が実施されている[6][28]。
1992年に実施された廃車車両の復帰を目的とした工事以降、モスクワ市電のタトラT3SUには以下のような改造や更新工事が行われた[26][4][29]。
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