ガチョウ足行進(ガチョウあしこうしん、独: Stechschritt、英: Goose-Step、仏: Pas de l'oie、伊: Passo dell'oca)は、閲兵式や衛兵交代の際の行進の形式の1つに対する呼称である。英語からグースステップともいう。
膝を曲げずにまっすぐ伸ばした脚を高く上げるのが特徴[注釈 1]。手の振り方は国によって異なる[注釈 2]。
この行進を行う姿が、ガチョウが歩く姿を連想させたところから生じた呼称(俗称)で、どちらかといえば揶揄的な表現である[注釈 3][1][2]。とりわけ20世紀半ばからはナチス・ドイツのイメージと結びついて記憶されており、そのような事情からしばしばナチス式行進とも呼ばれる。
プロイセン陸軍が発祥と考えられるが、明確な発生の事情は不明。軍部隊の同歩行進の特殊な形式で、プロイセン軍を中核とした統一後のドイツ軍に引き継がれ、式典や閲兵式にデモンストレートされた[3][4]。
世界各国の軍隊でこの行進形式が取り入れられているのは、主に以下の経路による。
- ドイツ経由:19世紀後半から20世紀初頭にかけて、プロイセン陸軍を模範として軍近代化を図った国々が、他の軍制度と同時にこの行進形式も導入。例:中華民国、南米諸国等。また1930年代 - 40年代には枢軸国でナチス・ドイツの行進が模倣される。例:イタリア(ムッソリーニ政権時代)等[注釈 4](次節では◆で示す)。
- ロシア・ソ連経由:第二次世界大戦後、社会主義体制をとった国々で、ロシア帝国[注釈 5]からこの行進を引き継いだソ連軍の影響で広まる。例:ソ連諸国、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム、キューバ、モンゴル等(次節では★で示す)。
- 以上2つの経路のいずれか判別しがたい、または双方の要素が混在していると推測される国々。例:中・東欧諸国(次節では△で示す)。
この行進形式は、厳しい訓練や規律正しさ、威厳をアピールする視覚的効果が高い(いわば「式典映えする」)反面、しばしば独裁的・権威主義的・軍国主義的・全体主義的な政治体制のイメージと結びつき[注釈 6]、こうした政治体制の変革や否定にともなって廃止される場合が多い[注釈 7]。
20世紀、自国ないしその体制に肯定的なニュアンスで(またはさらに積極的なプロパガンダの役割を期待されて)つくられた写真・ポスター・映像などが、正反対の否定的なニュアンスで用いられることがしばしば生じたが、いくつかの国の「一糸乱れぬガチョウ足行進」の写真や映像はこの典型的な対象となってきた[注釈 8]。見た目通りかなり足に負荷のかかる行進である。
ヨーロッパ
アメリカ
ある国の体制ないし政権に対する批判的なメッセージを込めた演出である場合が多い。
- イギリス映画「ブラジルから来た少年」(フランクリン・J・シャフナー監督、1978年)には、アスンシオンの街路をパラグアイ軍の将兵がガチョウ足行進するシーンがある。
- アメリカ映画「サルバドル/遥かなる日々」(オリバー・ストーン監督、1986年)では、市民のデモを鎮圧しようとするエルサルバドル政府軍の将兵が、集合、整列の際にガチョウ足行進を行う。
- スペインのドキュメンタリー映画「戒厳令下チリ潜入記」(ミゲル・リティン監督、1986年)では、式典でガチョウ足行進をするチリ軍将兵の映像が紹介される。
- 中国映画「大閲兵」(チェン・カイコー監督、1986年)では、北京で行われる国慶節軍事パレードに参加するため、人民解放軍某空挺部隊の将校達と若い兵士達がさまざまな悩みや疑問を抱えつつも、過酷なガチョウ足行進の訓練を行う姿が描かれる。作中の登場人物の発言として、パレード本番で各将兵が閲兵壇の前を行進するのはわずか96歩ずつであるのに対し、訓練では1万メートル近くを歩いたとされる。またパレードが始まる場面では、軍の各部隊に加えて民兵など準軍事組織の梯隊も写され、それぞれが主人公たちと同様の訓練を受けてきたことが示唆される。
- アメリカのドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」(マイケル・ムーア監督、2002年)では、第二次世界大戦後にアメリカが直接・間接に関わった世界各地の紛争に言及するシーンで、イラン軍将兵(パーレビ国王の閲兵)、チリ軍将兵(ピノチェト大統領の閲兵)がガチョウ足行進をする映像が用いられている。
- ドイツ映画「グッバイ、レーニン!」(ヴォルフガング・ベッカー監督、2003年)では、1989年10月7日の東ドイツ建国記念日(建国40周年記念にして、同国最後の建国記念日)の軍事パレードのシーン(当時の実際の報道映像を使用)が登場する。また、衛兵交代をする東ドイツ兵の近くを西側企業の商品を運ぶ車が横切る場面が、ベルリンの壁崩壊後の社会の急変を象徴する演出として用いられている。
注釈
行進のテンポ等に応じて、水平よりも高い角度に振り上げる場合、腰の高さに振り上げる場合、より低く膝の高さに振り上げる場合がある。またつま先を前方へ突き出す場合と、突き出さない場合とがある。
旧ソ連軍やその影響下にある東ドイツや朝鮮民主主義人民共和国など社会主義諸国では、前に出した腕の肘を曲げて握り拳を上半身の胸の辺りに引き寄せる。ただし観兵式では、「かしら右(左)」から「直れ」までの敬礼の間、両腕を脇に下げたまままったく振らない姿勢(上体だけを不動の姿勢にして、受礼者に注目する)に切り替えて行進を続ける。ドイツ軍では手指を伸ばして揃え、前に出した腕の掌をベルトバックルの前に引き寄せる。台湾、イラン、アルゼンチンなどでは、まっすぐ伸ばした腕をそのまま前後に振る方式がとられている。 軍隊等でこの行進形式を取り入れている国の国内では独:Paradeschritt(パレード歩調)またはStechschritt(直立歩調)、西: Paso Regular、中:正歩などと呼ばれる。 こうした経緯をたどった国の軍隊が、すべてガチョウ足行進を採用しているとは限らない。例えば明治以降プロイセン陸軍に範をとり、昭和期には枢軸国となった日本陸軍ではガチョウ足行進は採用されず、幕末から建軍前後にかけて影響を受けていたフランス流の徒歩行進を用い続けた。トルコ軍は、オスマン帝国時代にはドイツとの提携を強め、軍服にもドイツの影響が見られたが、現在アタテュルク廟で行われる衛兵交代式では脚は高く上がるもののひざは曲がっており、いわゆる「ガチョウ足行進」とは異なる方式になっている(ノートでの議論参照)。また、枢軸諸国の支援と影響を強く受けて成立したフランコ政権下のスペイン軍でもガチョウ足行進は行われなかった。 18世紀からプロイセンより軍事顧問を招聘し、軍制改革を盛んに行ってきたロシアにもこの行進が導入されていた。 そのなかでも最も著名で典型的なものは、「発祥の地」ともいうべきドイツにおいて第二次大戦後、西ドイツのドイツ連邦軍が、ナチス・ドイツのマイナスイメージから脱却を意図してガチョウ足行進を廃止した事例。 東ドイツではExerzierschritt(練兵歩調)という呼称を用いた。
ムッソリーニは1937年9月にヒトラーをベルリンに訪問して「アヒル式歩調」の勇壮さに圧倒されてイタリア軍に導入した。但し、彼ら自身はこれを「ローマ式歩調 Passo Romano 」と呼んだ。イタリアで行われていた「ローマ式敬礼」が「ナチス式敬礼」に取り入れられたのと好一対をなす現象である。木村 裕主『ムッソリーニを逮捕せよ』 新潮社、1989年参照。
- Horst Scheibert: Paraden der Wehrmacht Berlin 1934-1940, Podzun-Pallas, 1995
- Werner Landhoff: Die Großen Militärparaden des Dritten Reiches, Arndt, 2002, ISBN 3-88741-054-8
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