エメット・トッピーノ

アメリカの陸上競技選手 (1909-1971) ウィキペディアから

エメット・トッピーノ

エメット・トッピーノMartin Emmett Toppino1909年7月1日 - 1971年9月8日)は、アメリカ合衆国陸上競技選手である。彼は、1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックの男子4×100mリレー走で金メダルを獲得した。

概要 エメット・トッピーノ, 選手情報 ...
エメット・トッピーノ
エメット・トッピーノ(1932年)
選手情報
フルネーム マーティン・エメット・トッピーノ
国籍 アメリカ合衆国
種目 短距離走
所属 Loyola Wolfpack, New Orleans (USA)
生年月日 (1909-07-01) 1909年7月1日
生誕地 アメリカ合衆国ルイジアナ州オーリンズ郡ニューオーリンズ
没年月日 (1971-09-08) 1971年9月8日(62歳没)
死没地 アメリカ合衆国ルイジアナ州オーリンズ郡ニューオーリンズ
身長 171cm
体重 68kg
自己ベスト 100m:10秒4(1932年)
獲得メダル
アメリカ合衆国
陸上競技
オリンピック
1932 ロサンゼルス4×100mリレー
編集 
閉じる

経歴

トッピーノは、1932年のロサンゼルスオリンピックアメリカ合衆国代表最終選考会で100メートル走で4位に終わって、この種目での代表入りを逃した。その代わりに、4×100mリレー走のメンバーに選ばれてオリンピックに出場することになった。

ロサンゼルスオリンピックの4×100mリレー走は、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを会場として1932年8月6日と8月7日に実施された。この種目には8つの国の代表チームが出場した。アメリカ合衆国代表チームは彼の他にロバート・キーセルヘクター・ダイヤーフランク・ワイコフというメンバーで構成され、トッピーノは第2走者を任された。

8月6日の予選で、アメリカ合衆国代表チームは第1組で当時の世界記録となる41秒22で1位となり、翌日の決勝に進出した[1]。8月7日の決勝ではさらに記録を短縮して40秒0の世界新記録で2位のドイツ代表チーム(40秒9)、3位のイタリア代表チーム(41秒2)などを抑えて金メダル獲得を果たした[2][3]

トッピーノはロヨラ大学ニューオーリンズ校の卒業生で、大学では化学の学位を取得していた。彼はロヨラ大学の学生友愛会ベガーズ・フラタニティ(Beggars Fraternity)の会員だった。その後、1971年に生地のニューオーリンズで死去している。

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.