アントニオ・コバス・マルチネス (Antonio Cobas Martínez, 1952年1月29日 – 2004年4月14日) は、スペイン、バルセロナ出身のグランプリレーサー設計者。コバスは現在のオートバイの大半が採用するアルミニウム製フレームを初めて設計に取り入れたことで知られる[1]。
1980年代初期のレース用オートバイはまだ1950年代に開発された鋼製チューブフレームを使用していた。エンジンとタイヤの技術が進歩したため、フレームにはますますストレスがかかるようになっていた[1]。1982年にコバスは鋼製のバックボーンフレームに代えてより強くて軽いアルミニウム製のツインビームフレームを開発した[1]。この技術は主要オートバイメーカーの大半がコピーし、1990年代に入るとグランプリにおける全ての主要チームが、コバスが創始したアルミニウムフレームを採用するようになった[2]。
コバスは1978年にシロカスと名付けたレーサーを製作し、それはスペイン国内選手権で成功を収めた。1982年に彼はロータックス製エンジンを搭載したコバスブランドのレーサーを製作した。スペイン人ライダーのシト・ポンスが1982年のフィンランドグランプリで3位入賞、続くチェコスロバキアでも4位に入った[3]。翌年、カルロス・カルダスがコバスのマシンでヨーロッパ選手権250ccクラスのタイトルを獲得した。
1983年、オートバイマニファクチャラーのJJコバスを設立する。ポンスは1984年シーズンの250ccクラスにコバスのマシンで参戦、スペイングランプリで初勝利を挙げ、シーズンをランキング4位で終えた[3]。さらに1989年シーズンの125ccタイトルをアレックス・クリビーレが獲得し、より大きな成功を遂げた[4]。
ポンスが1986年シーズン、ホンダのファクトリーチームに移籍すると、コバスも同チームに入りチーフクルーに就任した。ポンスが1991年に引退しポンス・レーシングを設立すると、コバスは同チームのテクニカルディレクターとなる。彼の開発したマシンでアルベルト・プーチとカルロス・チェカが勝利を挙げた。1999年は再びクリビーレと世界GPを戦い、この年クリビーレは500ccのタイトルを獲得した。
コバスは2004年に52歳で死去した[5]。
参照
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