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鶏肉に衣をつけて揚げた大分県の郷土料理 ウィキペディアから
とり天(とりてん)は、鶏肉に衣をつけて揚げた大分県中部の郷土料理である。鳥天、鶏天と表記されることもある。
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現在の別府市浜町で、1926年(大正15年)に宮本四郎が開業した「レストラン東洋軒」が発祥とされることがある。昭和初期の東洋軒のメニューでは、「炸鶏片」(チャーケイペン)という料理が「鶏肉ノテンプラ」と説明されている[1][2]。
1953年(昭和28年)に別府市内の洋食店「三ツ葉グリル」(現「グリルみつば」)が開業した当時のメニューにもとり天が載っており[3]、この店が元祖として紹介されることも多い。しかし「三ツ葉グリル」の創業者はアサヒビアスタンドで修行を積むも、太平洋戦争時に召集令状が来たため、南方へ出征した。戦後の引き揚げ後には別府市に戻り、東洋軒で宮本と共に腕を振るった。
グリルみつばの現店主も「レストラン東洋軒」が起源であるとしている。三ツ葉開業当時のメニューには「炸鶏片」の表記は同じく記載されているが、読みが(チャーチーペン)と少し変化がある。また東洋軒と同じ縦長二つ折の菜単となっていた。[4]。
後に東洋軒は中浜筋へ移転。中浜筋に第二東洋軒も開業するが、1981年(昭和56年)に隣接する商店街の火災の被害に遭って焼失した。1983年(昭和58年)には本店もストーブが原因の火災で焼失し、後に現在地である別府市石垣東に新店舗で営業を再開した。
大分市や大分市観光協会のウェブサイトでは、1962年(昭和37年)に大分市府内町の「いこい」で誕生したと紹介している[5][6]。1969年(昭和44年)、「いこい」は鶴崎に移転した。店主自らデザインした二階建てパーラー風の建物であった。現在は国道197号沿いに店舗を構え、建物跡地はいこいの駐車場となっている。
大分市では定食店「いこい」「キッチン丸山」が元祖として紹介されることが多い。年代としては別府市の方が古いが、「キッチン丸山」の店主は、1960年頃に「いこい」の店主と共同で考案した独自のもので、以前からある鳥の天ぷらとは異なるものであるとしている[4]。なお、大分市観光課が発行したパンフレットでとり天が大分市内の食堂で生まれたと紹介されたことに対し、別府市観光まちづくり室は2007年8月16日に大分市観光課長に対して異議を申し入れている[3]。
大分県では、レストラン・定食屋・喫茶店・居酒屋・弁当屋などで供される定番料理の一つとなっている。大分県民にとってあまりにも一般的な料理であるため、日本全国どこにでもある料理だと思っている県民も多い[7]。全国展開の外食チェーンでも、大分県に本社を置くジョイフルがグランドメニューとしてとり天定食を供している[8]ほか、やよい軒[9]などでも期間限定メニューとして採用されている。モスバーガーやロッテリアからは、とり天を使ったハンバーガーが地域限定・期間限定で発売されている[10][11]。
調理法は様々だが、概ね以下のような共通の特徴がある。
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