生平
深泽七郎生于山梨县石和温泉乡。中学时期喜读外国文学作品,又喜欢弹吉他,后在东京举办独奏会。中学毕业后到药店和面包铺作学徒,战后卖过衣服。
1956年,深泽七郎发表短篇小说《楢山节考》,文坛为之一震。小说取材于民间故事,描写日本信州原始山村为生活所迫,由于食物匮乏,把70高龄的老母阿玲婆弃于深山等死,表现了农村的民不聊生[1]。《楢山节考》之后在1958年及1983年改编成电影[2][3],并获得1983年金棕榈奖[4]。另著有历史小说《笛吹川》(1958年)、短篇小说集《东京的王子们》(1959年)等。
1960年12月,深泽七郎在《中央公论》上发表短篇小说《风流梦谈》,因内容涉及日本皇室[5],日本右翼分子小森一孝借口“亵渎皇室尊严”,闯进《中央公论》社长家中行凶,杀伤社长之妻并杀害佣人,引起日本文化界的强烈抗议,史称“岛中事件”。
1987年8月18日,深泽七郎因心脏病去世,享寿73岁[6]。
著作
- ‘楢山节考’中央公论社、1957 のち新潮文库
- “东北の神武たち”(1957年)
- “揺れる家”(1957年)短编
- “柞叶の母”(1957年)短编
- “三つエチュード”(1957年)短编
- ‘言わなければよかったのに日记’中央公论社(1958年)エッセイ のち文库
- ‘笛吹川’中央公论社(1958年)のち新潮文库、讲谈社文芸文库
- “木曽节お六”(1958年)短编
- “ささやき记”(1958年)エッセイ
- ‘东京のプリンスたち’中央公论社(1959年)
- ““文士剧”ありのままの记”(1959年)エッセイ
- “风流梦谭”(1960年)
- ‘流浪の手记 风流梦谭余话’アサヒ芸能出版・平和新书(1963年)エッセイ のち徳间文库
- “正宗白鸟と私”(1963年)
- ‘千秋楽’河出书房新社(1964年)のち新潮文库
- ‘甲州子守呗’(1964年)讲谈社 のち文库、中公文库、讲谈社文芸文库
- ‘人间灭亡の呗’徳间书店(1966年)のち新潮文库
- “生态を変える记”(1966年)エッセイ
- ‘百姓志愿 都会を离れた自由人の日记’毎日新闻社 1968
- ‘深沢七郎选集’全3巻 大和书房 1968
- ‘庶民烈伝’新潮社(1970年)のち文库
- ‘深沢七郎杰作小说集’全4巻 読売新闻社 1970
- ‘人间灭亡的人生案内’河出书房新社(1971年)
- ‘盲灭法 深沢七郎対谈集’创树社 1971
- ‘怠惰の美学’日芸出版(1972年)
- ‘东北の神武たち’新潮文库、1972
- ‘盆栽老人とその周辺’文艺春秋(1973年)のち文库
- ‘生き难い世に生きる 深沢七郎対谈集’実业之日本社 1973
- ‘対谈くらしの中の男二人’小田実 现代史资料センター出版会 1973
- ‘深沢ギター教室 あなたも“禁じられた游び”が弾ける’光文社カッパ・ブックス 1973
- ‘无妙记’河出书房新社(1975年)
- ‘たったそれだけの人生 深沢七郎対谈集’集英社 1978
- ‘妖木犬山椒’中公文库(1978年)
- ‘みちのくの人形たち’中央公论社(1979年)のち文库-谷崎润一郎赏受赏
- ‘ちょっと一服、冥土の道草’文艺春秋(1983年)エッセイ
- ‘极楽まくらおとし図’集英社(1984年)
- ‘余禄の人生’文春文库 1986
- ‘梦辞典’文芸春秋 1987
- ‘深沢七郎ライブ’话の特集编集室 1988
- ‘深沢七郎の灭亡対谈’ちくま文库、1993
- ‘深沢七郎集’全10巻 筑摩书房 1997
- ‘生きているのはひまつぶし 深沢七郎未発表作品集’光文社 2005 のち文库
- ‘深沢七郎コレクション’転・流 戌井昭人编 ちくま文库 2010
- ‘生まれることは屁と同じ 深沢七郎対谈集’新海均编 河出书房新社 2012
- ‘花に舞う 日本游民伝 深沢七郎音楽小说选’讲谈社文芸文库 2013
- ‘楢山节考/东北の神武たち 深沢七郎初期短篇集’中公文库 2014
参考资料
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