鳥の言葉
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『鳥の言葉』[2](とりのことば。アラビア語: منطق الطير Manṭiq al-Ṭayr [3])または『鳥たちの集会』[4](とりたちのしゅうかい)(英語: Speech of the Birds または Conference of the Birds)は、12世紀末の詩人ファリードゥッディーン・アッタールによって1177年頃に[5]ペルシア語で書かれた、約4千5百対句(バイト)に及ぶ長編詩である。アッタールは作品のなかで『鳥の言葉』以外にも『鳥たちの階梯』(アラビア語: مقامات الطیور Maqāmāt al-Ṭuyūr )とも呼んでいる。アッタールの韻文作品のうちの代表作であり、前近代では『鳥たちの書』(アラビア語: طيور نامه Ṭuyūr Nāma )とも呼ばれた[3]。
本作は各詩句の半句(ミスラーウ)ごとに末尾で押韻するマスナヴィー詩形で作られている。しかし、同じペルシア語のマスナヴィー詩形の叙事詩・抒情詩の代表的な作品であるフェルドウスィーの『シャー・ナーメ』やサアディー『果樹園(ブースターン)』がムタカーリブ体の韻律で作られているのに対して、アッタールはラマル体(Ramal)の韻律、しかも正調(Ramal-i musamman-i sālim)ではなく変調のラマル体(Ramal-i musaddas-i maqṣūr:ーUーU/ーUーー/ーUーー/:*ーが長音、Uが単音)を用いていた[6]。なお、アッタールはイラン北東部のホラーサーン地方の首府であったニーシャープールの出身であるため、「ニーシャープールのアッタール」の意味で単にアッタール・ニーシャープーリーとも呼ばれる。