隆姫女王具平親王の長女。藤原頼通の正室 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 隆姫女王(たかひめじょおう、長徳元年(995年) - 寛治元年11月22日(1087年12月19日))は、村上天皇第7皇子・具平親王の長女。母は為平親王の次女。後に藤原頼通の正室となり、高倉北政所と呼ばれた。弟に夫・頼通の猶子となった源師房、妹に敦康親王妃、嫥子女王(藤原教通室)がいる。なお史料によっては隆子女王、隆姫子女王とする表記もある[1]。
隆姫女王(たかひめじょおう、長徳元年(995年) - 寛治元年11月22日(1087年12月19日))は、村上天皇第7皇子・具平親王の長女。母は為平親王の次女。後に藤原頼通の正室となり、高倉北政所と呼ばれた。弟に夫・頼通の猶子となった源師房、妹に敦康親王妃、嫥子女王(藤原教通室)がいる。なお史料によっては隆子女王、隆姫子女王とする表記もある[1]。