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日本の戦国時代の武将。長氏一門平信光次男で、能登穴水城主長英連婿養子。畠山七人衆。従五位下対馬守 ウィキペディアから
長 続連(ちょう つぐつら)は、戦国時代の武将。平盛信(長教連の二男)の二男。畠山氏に四代にわたって仕えた重臣。初名は平 勝光(たいら かつみつ)、のちに伯父・長英連の婿養子となり、最初の主君である畠山義続から偏諱を賜って長 続連と名乗る。新九郎、九郎左衛門尉、対馬守。能登国鳳至郡穴水城主。
畠山七人衆の一人で、数々の主君の放逐や擁立などを行った。織田信長の勢力が能登にまで伸びてくるとこれに近づいて親密な関係を作り、同じ畠山家中の対抗勢力である遊佐氏、温井氏などに差をつけ、家中で随一の勢力を誇る重臣となった。
天正4年(1576年)から越後の上杉謙信による侵攻を受けたが、続連はこれを七尾城に籠もることで一度は追い返した。しかし翌年の上杉軍との戦いに際し、城内に疫病が発生して形勢が不利になった上、畠山重臣で親上杉派の遊佐続光(妻は平信光の娘で続連とは義兄弟)や温井景隆らが謙信に内応、七尾城は落城した(七尾城の戦い)。その折に続連をはじめとする長一族はほとんどが謀殺され、生き残ったのは続連の嫡男綱連の末子である菊末丸と、出家し孝恩寺の住職となっていた三男の連龍のみである。
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