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護憲元老院(ごけんげんろういん、フランス語: Sénat conservateur)は、共和暦8年憲法によって統領政府期のフランスに創設され、護民院(Tribunat)・立法院(Corps législatif)とともに統領政府の三院制議会を構成した合議体である。第一帝政の政体を定める共和暦10年憲法・共和暦12年憲法はいずれも護憲元老院を権威付けするものに他ならなかった。
護憲元老院は、新体制の指導者である第一統領ナポレオンの直接的影響下に作り上げられた共和暦8年霜月22日憲法(1799年12月13日)によって創設された。ナポレオンはこの護憲元老院に違憲審査権を付与して新体制の要諦とした[1]。
創設時の元老院は40歳以上の罷免されない(inamovible)議員60名から構成され、毎年2名の追加議員を10年間加え、通算して追加議員20名が加わった[2]。この議会は民選議会ではなかった。憲法上シエイエスおよびロジェ・デュコは、統領の退任者として職権上創設時元老院議員となることができた[3]。また憲法上両名は、憲法によって直接新規任命された第二統領カンバセレスおよび第三統領ルブランと協議の上、過半数に至る29名の創設時議員を選ぶことができた[4]。この31名の創設時議員が残りの29名の創設時議員を選んだ。このように元老院議員は元老院が自ら選ぶものとされており、元老院議員が死亡して空席を生じたときは、第一統領、護民院および立法院の提示した候補者計3名の中から元老院が補充議員を選んだ[5]。
ナポレオン時代の元老院は、シャルグランの改築によってリュクサンブール宮殿中央部に増設された半円形の議場に置かれ、憲法上会議は非公開とされた[6]。創設時の護憲元老院は、革命諸議会の元議員(フランソワ・ド・ヌフシャトー、ガラ、ランジュイネ)から、科学者(モンジュ、ラグランジュ、ラセペード、ベルトレー)、哲学者(カバニス)、探検家のブーガンヴィル、画家のヴィアン、学士院会員までもが議席を占めた。
共和暦10年(1802年)の憲法修正によって元老院議員の地位が強化された。これにより元老院は、憲法上規定がないがその執行上必要な事項について、法的拘束力をもつ元老院決議によって規定することができるようになった[7]。例えば、1802年の亡命貴族の恩赦のような手続が行われた。
元老院議員の数は120名までとされた[8]。第一統領ナポレオンは元老院を召集・主宰し[9]、選挙会によって選ばれた市民の名簿に基づき補充議員候補者3名を提示する権限をもち[10]、主体的に元老院議員を任命することもできるようになるなど[8]、元老院の活動と構成を直接統制できるようになった。
1803年1月、ナポレオンは元老院議員知行地 (Sénatorerie) 制度を創設し、元老院議員の迎合と従属を確固たるものにしようとした。1804年6月以降、36名の元老院議員がこの知行地禄を付与されて地方の特命行政総監(super-préfets)となるものとされた。これらの元老院議員は生涯城館ないし旧司教館を公邸として支給され、年額20,000ないし25,000フランを支給されて通常の元老院議員の倍の年収を得られるようになった。例えば、ベルトレーはモンペリエの元老院議員知行地を付与され、ナルボンヌの司教館と年額22,690フランを支給された。
共和暦12年憲法(1804年)は第一帝政の成立を宣言し、今や皇帝となったナポレオンに対する元老院の従属を一層強化するものであった[11]。ナポレオンが次々と報賞を与えたのに応じて、元老院議員らも忠誠を示した。1806年1月1日、皇帝は元老院議員らを帝国の賢人(sages de l’Empire)と呼んで表敬し、敵旗54旒を授与した。元老院議員兼帝国元帥(sénateur maréchal d’Empire)のペリニョンは皇帝の栄光を称える凱旋門の建造を熱弁し、同僚の元老院議員のラセペードらはこれを熱援した。
ナポレオンはフランス帝国の皇族、顕官 (fr:Grands dignitaires de l'Empire français) 、その他特に勅選した者を数限りなく元老院に列することができるようになった[12]。兄ジョゼフのほか、カンバセレス、シャプタル、フーシェ、フォンターヌ、トロンシェ、将軍ではコランクールやデュロックに議席が与えられた。ナポレオンの意は満たされたが、元老院議員らは1814年4月2日に皇帝退位法を採択してナポレオンの退位を宣言し、ルイ18世を国王に擁立することとなった。
共和暦8年雪月4日(1799年12月25日)の初会合時は、創設時議員中最年長者のダイイが議長を務めた。その後、議長は順次互選された。
共和暦10年熱月16日憲法39条により、統領は元老院議員となり、議長を務めるものとされた。
元老院議長は元老院議員の中から勅任された。任期は1年だが、皇帝は時宜に応じて自ら議長を務め、または帝国顕官 (fr:Grands dignitaires de l'Empire français) の称号を保持する者に命じて議長を務めさせることができた[13]。
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