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平安時代後期から鎌倉時代初期の公卿・歌人、漢詩人。藤原実光の次男。正二位・権中納言。日野家12代当主。 ウィキペディアから
藤原 資長(ふじわら の すけなが)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人、漢詩人。藤原北家真夏流(日野家)、権中納言・藤原実光の次男。官位は正二位・権中納言。日野家12代当主。日野民部卿と称す。
保延元年(1135年)秀才、保延3年(1137年)には対策に及第する。
保延4年(1138年)従五位下に叙爵。久安6年(1150年)右少弁に任ぜられた後、中弁、大弁と昇進。久寿2年(1155年)後白河天皇に五位蔵人、永暦元年(1160年)二条天皇に蔵人頭として仕える。同年参議に任ぜられて公卿に列した。
永万元年(1165年)従三位・権中納言に叙任される。治承3年(1179年)辞して、正二位・民部卿に叙任される。治承5年(1181年)長年の希望であった出家をする。法名は如寂。九条兼実からは末代の幸人と評されている。
建久6年(1195年)10月26日薨去。享年77。『高野山往生伝』、『資長卿記』などがある。また、『続古今和歌集』に和歌、『拾玉集』には漢詩がある。
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