萬屋ウィキペディア フリーな encyclopedia この項目では、歌舞伎役者の屋号について説明しています。青森県を中心に展開している同名のリサイクルショップについては「ドラゴンキューブ」をご覧ください。 萬屋(よろずや)は、歌舞伎役者の屋号。 三代目中村歌六の妻・小川かめの実家が市村座の芝居茶屋をしていた小川吉右衛門の「萬屋」だったことに由来する。 1971年(昭和46年)、初代中村錦之助ら小川家一門が播磨屋から独立するかたちで名乗りはじめた。 萬屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。 さらに見る 屋号, 名跡 ... 屋号 名跡 定紋 備考 よろずや萬屋 なかむら かろく中村歌六 きりちょう桐蝶 五代目。のち播磨屋に復帰。[1] なかむら かしょう中村歌昇 三代目。のち播磨屋に復帰。[1] なかむら ときぞう中村時蔵 五代目以降。 なかむら ばいし中村梅枝 三代目の途中で播磨屋から萬屋に変わった。 なかむら まんたろう中村萬太郎 なかむら きんのすけ中村錦之助 なかむら はやと中村隼人 なかむら しどう中村獅童 初代は播磨屋。 閉じる
この項目では、歌舞伎役者の屋号について説明しています。青森県を中心に展開している同名のリサイクルショップについては「ドラゴンキューブ」をご覧ください。 萬屋(よろずや)は、歌舞伎役者の屋号。 三代目中村歌六の妻・小川かめの実家が市村座の芝居茶屋をしていた小川吉右衛門の「萬屋」だったことに由来する。 1971年(昭和46年)、初代中村錦之助ら小川家一門が播磨屋から独立するかたちで名乗りはじめた。 萬屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。 さらに見る 屋号, 名跡 ... 屋号 名跡 定紋 備考 よろずや萬屋 なかむら かろく中村歌六 きりちょう桐蝶 五代目。のち播磨屋に復帰。[1] なかむら かしょう中村歌昇 三代目。のち播磨屋に復帰。[1] なかむら ときぞう中村時蔵 五代目以降。 なかむら ばいし中村梅枝 三代目の途中で播磨屋から萬屋に変わった。 なかむら まんたろう中村萬太郎 なかむら きんのすけ中村錦之助 なかむら はやと中村隼人 なかむら しどう中村獅童 初代は播磨屋。 閉じる