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英露関係
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英露関係(えいろかんけい、英語: Russia–United Kingdom relations, Anglo-Russian relations[1]; ロシア語: Российско-британские отношения, англо-русские отношения)ではロシアとイギリスの二国間関係について述べる。両国間の公的な国交は1553年に樹立された。ロシアとイギリスは19世紀初頭、ナポレオン相手に共闘した。1850年代のクリミア戦争およびその後の19世紀後半、中央アジアの支配をめぐるグレート・ゲームでは対立した。第一次および第二次世界大戦では両国は再び共闘したが、1917年のロシア革命によって両国関係は悪化した。1947年から1989年にかけての冷戦では両国は再び対立した。1991年のソ連崩壊後、ロシア財界はロンドンの金融機関と密接な関係を築いた。2022年ロシアのウクライナ侵攻に際し、イギリスによる経済制裁によって両国関係は緊張したものとなっている。ロシアはイギリスを中華民国、大韓民国、日本、シンガポール、アメリカ合衆国、欧州連合加盟国、NATO加盟国(トルコを除く)、オーストラリア、ニュージーランド、スイス、ミクロネシア連邦、ウクライナと並んで非友好的な国と地域のリストに掲載している。
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![]() イギリス |
![]() ロシア |
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在外公館 | |
在ロシアイギリス大使館(英語版) | 在イギリスロシア連邦大使館 |
外交使節 | |
駐露イギリス大使(英語版) ナイジェル・ケイシー(英語版) | 駐英ロシア大使(英語版) アンドレイ・ケリン(英語版) |
両国は互いに激しい諜報活動を繰り広げてきた。ソビエト連邦は1930年代から1950年代にかけて、ケンブリッジ・ファイヴに代表される英国の諜報・安全保障機構上層部への浸透に成功した一方で、イギリスは1990年代を含む全期間を通じてロシアの諜報機関幹部と共謀し、セルゲイ・スクリパリのようなロシア諜報機関内で活動する英国スパイは、ヨーロッパ全域で活動する諜報員の詳細な情報を広く伝えていた[2]。19世紀以降、イギリスは多くのロシア人政治亡命客や難民をロシア語圏から受け入れてきた。
21世紀初頭、特に2006年のリトビネンコ事件以降、両国関係は悪化した。デーヴィッド・キャメロン政権初期、2014年までの間一時的に関係が改善した[3]。2014年以降、2014年のウクライナ紛争および2018年のスクリパリ事件(英語版)以降、関係は急速に悪化した。スクリパリ事件の発覚以降、28ヶ国がスパイの疑いがあるロシア人外交官を追放した[4]。2021年6月、イギリスの駆逐艦ディフェンダー(英語版)とロシア連邦軍の間で2021年黒海事件(英語版)が生じた。
2022年ロシアのウクライナ侵攻を受け、2つの核保有国の関係は完全に破綻した。イギリスはロシア外資に経済制裁(英語版)を課し、ロシアのオリガルヒ資産を凍結し、市民に帰国を呼びかけロシアとのあらゆる経済関係を断絶した[5]。ロシアはイギリスに報復制裁を課し、また同国がセヴァストポリ海軍基地、ノルドストリームパイプライン、クリミア大橋に対する攻撃に関与したとして非難している[6][7]。イギリスはウクライナに対し最大級の財政・軍事援助をしており、またヨーロッパの国としては初めて殺傷兵器を送っている[8][9]。