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室町時代後期の武将。弾正左衛門、弾正忠。備後守。織田弾正忠家(勝幡織田氏)の祖・初代 ウィキペディアから
織田 良信(おだ すけのぶ/よしのぶ)は、室町時代後期の武将。官位は弾正左衛門、弾正忠。備後守。尾張国の守護代である織田氏の一族で清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」(勝幡織田氏)の祖とされる。
父は織田敏信[注釈 1]とされ、確定されていない。初名は不明であるが、尾張守護の斯波義良(後に義寛と改名)の一字「良」の偏諱を受け、良信と名乗ったと推定される。
文明14年(1482年)、清洲城内において宗論がおこなわれた(清洲宗論)。その際に奉行人の一人として名を連ねている。弾正忠家一族の人物で名が判明しているのは良信が最初であるが、「良信」の諱があらわれるのは清洲宗論の場面のみである。
長享元年(1487年)、9代将軍・足利義尚より、織田大和守家当主の清洲城主織田敏定へ安堵された寺領(妙興寺領)を押領した「材厳」[2]と同一人物と理解されており、織田信定(信貞)の父で織田信長の曾祖父にあたる人物として名が挙がる「西巌」[3]に該当する人物と推定されている。
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