細川政元
室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。室町幕府24、26、27、28代管領。摂津国・丹波国・土佐国・讃岐国守護。細川氏12代。細川勝元の嫡男。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか 細川政元?
この記事を 10 歳向けに要約してください
すべての質問を表示
細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。室町幕府24、26、27、28代管領。摂津国・丹波国・土佐国・讃岐国守護。細川氏12代当主。日野富子や伊勢氏らとともに足利将軍家の10代将軍義材を追放して11代義澄を擁立し、事実上の最高権力者になり、「半将軍」とも呼ばれた[1]。
概要 凡例細川 政元, 時代 ...
細川政元像(龍安寺蔵) | |
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
生誕 | 文正元年(1466年) |
死没 | 永正4年6月23日(1507年8月1日) |
改名 | 聡明丸(幼名)→政元 |
別名 | 九郎(仮名)、半将軍(渾名) |
諡号 | 雪関 |
戒名 | 大心院殿雲関興公大禅定門 |
墓所 | 京都府京都市の大雲山龍安寺 |
官位 | 従四位下、右京大夫 |
幕府 |
室町幕府 管領 丹波・摂津・讃岐・土佐守護 |
主君 | 足利義政→義視→義尚→義稙→義澄 |
氏族 | 細川京兆家 |
父母 | 父:細川勝元、母:山名宗全養女春林寺殿? |
兄弟 | 洞松院、政元 |
子 | 養子:澄之、澄元、高国 |
テンプレートを表示 |
閉じる
修験道に没頭して女性を近づけず、独身を貫いたため、実子はいなかった[2]。養子に澄之、澄元、高国がいる。
将軍を挿げ替え(明応の政変)、管領として幕政を牛耳り(京兆専制)、比叡山焼き討ちを行ったり、畿内周辺にも出兵するなど、細川京兆家の全盛期を築き、当時日本での最大勢力に広げたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが生じ、自らもその争いに巻き込まれる形で家臣に暗殺された(永正の錯乱)。応仁の乱の混乱以来、実力者政元の登場によって小康状態にあった京・畿内周辺は、その死と澄元・高国両派の争いによって再び長期混迷していくこととなる。