紀元前680年代
- 紀元前689年 - アッシリア王センナケリブのバビロニア遠征。バビロンは陥落しアッシリアの直接支配下におかれる。
- 紀元前687年頃 - リュディア王カンダウレスを倒したギュゲス(英語版)が王となり、メルムナデス朝(英語版)が成立。
- 紀元前685年 - 斉の桓公が君主となり、管仲を宰相に迎える。
- 紀元前685年頃 - ギリシアのメガラ人により植民市カルケドンが建設される。
- 紀元前683年 - アテナイのアルコンの任期が10年から1年に限定され、翌年クレオンがその任期で職務に就く。
- 紀元前681年- アッシリア王センナケリブが暗殺される。王位継承争いを制した王子エサルハドンが即位。
紀元前670年代
- 紀元前679年 - 斉の桓公による鄄の会盟。
- 紀元前677年
- 姫称が晋を再統一し、晋の武公となる。
- 秦の徳公が平陽から雍城に都を遷す。
- 紀元前673年 - トゥッルス・ホスティリウスが第3代ローマ王に選出される。
- 紀元前671年 - アッシリア王エサルハドンのエジプト遠征。
- 紀元前670年頃
紀元前660年代
- 紀元前669年 - ヒュシアイの戦いでアルゴス僭主フェイドンがスパルタに勝利し覇権を握る。
- 紀元前668年 - アッシリア王アッシュールバニパルの即位。
- 紀元前667年頃
- 紀元前665年
- アッシュールバニパル王が、ルッディ王グッグを救援するためギミライを攻撃する。
- 紀元前664年
- 紀元前663年
- アッシリア王アッシュールバニパルのエジプト遠征。
- 再起を図ったエジプト第25王朝のタヌトアメンはテーベ陥落によりヌビアに逃亡。第26王朝の支配が確定。
- 斉の桓公が燕を救援するため、山戎を征伐し、孤竹国を滅ぼす。
- 紀元前660年
- 熒沢の戦いで、衛の懿公が翟(狄)に敗死、都の朝歌が略奪され衛は一時滅亡。
- 初代神武天皇即位、日本建国。辛酉年、春正月、庚辰の朔日の日、天皇橿原宮にあまつひつぎしろしめし、天皇の元年とす(『日本書紀』)。
- 紀元前660年頃 - マンナエ王国がアッシリアに敗北し衰退に向かう。
紀元前650年代
- 紀元前657年 - キュプセロスがバッキアダイを追放しコリントスの僭主となる。
- 紀元前656年 - 斉の桓公による召陵の会盟。
- 紀元前655年 - 晋の献公が虢と虞を滅ぼす。驪姫の讒言のため公子重耳・公子夷吾らが晋を出奔。
- 紀元前654年 - フェニキア人がイビサ島に植民市を築く。
- 紀元前653年
- 紀元前652年 - 斉の桓公による洮の会盟。
- 紀元前651年 - 斉の桓公による葵丘の会盟。桓公はこれにより周王より伯位を賜り最初の覇者となる。
- 紀元前650年頃
紀元前640年代
- 紀元前647年 - アッシリア王アッシュールバニパルのエラム遠征。スサの戦いでエラムの首都スサが陥落し、破壊される。
- 紀元前645年
- 斉の宰相である管仲が死去。
- 秦の穆公と晋の恵公が激突。秦が大勝し晋の恵公を捕虜とする(韓原の戦い)。
- 紀元前643年 - 斉の桓公が死去し、斉の覇権は終わる。
- 紀元前640年頃
紀元前630年代
- 紀元前639年 - 宋の襄公による鹿上の会盟・盂の会盟。
- 紀元前638年 - 宋の襄公と楚の成王が泓水(現:河南省柘城県)にて激突し、楚が大勝する(泓水の戦い)。
- 紀元前636年 - 重耳が亡命19年の後即位し、晋の文公となる。
- 紀元前635年 - エジプト王プサメティコス1世がアシュドッドを陥落させる(英語版)。
- 紀元前632年 - 文公が率いる晋と楚が城濮(現:山東省西部の濮県の南)にて激突し、晋が大勝する(城濮の戦い)。
- この勝利により晋の文公は践土の会盟を行い覇者となる。
- 紀元前630年頃
- キュロン(英語版)がアテナイのアクロポリスを占拠し僭主の地位を得ようとするが失敗し殺害される。
- キュロン殺害を促したメガクレスとアルクマイオン一族は追放され、これが原因でアテナイとメガラの間で戦争が起こる。
- リビアの植民都市キュレネがティラ島のギリシャ人によって建設される。
紀元前620年代
- 紀元前627年 - 秦と晋が殽の戦い(中国語版)で激突し、晋が勝利する。
- 紀元前627年頃
- 紀元前625年頃
- 紀元前624年 - 秦と晋が王官の戦いで激突し、秦が勝利する。
- 紀元前623年 - 秦と晋が新城の戦いで激突。秦の穆公が西戎を制圧し、西戎の覇者となる。
- 紀元前622年 - エルサレム聖殿で大祭司ヒルキヤが律法の書を発見、それに基づいてユダ国王ヨシヤが「申命記改革」を行う。
- 紀元前621年 - 秦の穆公が死去し、177名の殉死者が出たことで、秦の国力が低下する。
- 紀元前621年頃 - ギリシアのアテナイでドラコンが法典を成文化する。
- 紀元前620年頃 - ギリシアのコリントスで「黒絵式」陶器が発明される。
紀元前600年代
- 紀元前609年
- 紀元前607年 - 趙穿が晋の霊公を殺害する。亡命途上の趙盾が帰国し成公を擁立。
- 紀元前606年 - 楚の荘王が周の都洛邑へ進軍し「鼎の軽重」を問う。
- 紀元前605年
- 紀元前600年以前 - リュディア王アリュアッテスがキンメリア人を撃滅する。
- フラッド・タブレット(英語版):現在のイラクで紀元前7世紀頃に記された。
- 前668年以降 - アッシリアの碩学ナブ・アヘ・エリバ博士が、文字の霊が人間に及ぼす災いについて研究し、アッシュールバニパル王に進言するものの認められず、最後には文字の霊の祟りで図書館の粘土板が落下し圧死する(中島敦『文字禍』)。
- 前609年以前 - アッシリアの最後の王であるサルダナパロスは、放蕩の限りを尽くした暴君として知られ、その最期は寵姫・侍者・財宝もろとも自ら宮殿に火を放って死んだと伝えられる(シケリアのディオドロスによって記録される「サルダナパロス王」はアッシュールバニパルほかアッシリア帝国末期の諸王の事績が混交した半ば伝説上の人物。後世、バイロンの戯曲『サーダナパラス(1821年)』やドラクロワの絵画「サルダナパールの死(1827年)」の着想の源泉となった)。
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