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第2回立法院議員総選挙(だい2かいりっぽういんぎいんそうせんきょ)は、1954年3月14日に行われた琉球政府の立法院議員選挙である。
奄美群島が本土復帰したことにより、奄美地区の選挙区や有権者が今回から除外されることになった。
この頃になると、琉球民主党(以下、民主党)と沖縄社会大衆党(以下、社大党)による二大政党制の傾向が明確になり、小選挙区制の導入と相まって激烈な選挙戦となった。
民主党は行政主席の比嘉秀平を総裁とする保守系の与党で、対米協調路線をとった。一方、野党の社大党は「ヒューマニズム」を基調とし本土復帰を強く掲げた。
党派 | 得票数 | 得票率 | 議席 |
---|---|---|---|
琉球民主党 | 142,795 | 45.6% | 12 |
沖縄社会大衆党 | 129,610 | 41.4% | 12 |
沖縄人民党 | 18,315 | 5.0% | 2 |
無所属 | 22,467 | 7.2% | 3 |
出:表「党派別当選者数および得票数」、沖縄タイムス編集発行『沖縄年鑑』1969(昭和44年)復刻版、446頁
親米保守派の民主党は、当初目標としていた過半数を確保することができなかった。これに対し、沖縄の祖国復帰を主張する社大党と人民党で全議席の半数近くを占める結果となった。この結果について社大党と人民党が共闘(人民党が候補者を立てない選挙区では社大党候補に投票、社大党は人民党候補が立候補した選挙区に候補者を擁立しない)して候補者調整した事が功を奏したと指摘する声もある[1]。
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