神田松鯉 (2代目)
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2代目神田 松鯉(かんだ しょうり、1885年(明治18年)9月8日 - 1967年(昭和42年)4月22日[1])は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した講談師。本名、玉川悦太郎[1]。初代神田松鯉の子。
東京港区芝源助町に生まれた後、京橋五郎兵衛町に転居[1]。1895年、父の門下として高座に上がり、神田悦山を名乗る[1]。1905年から神田小伯山を名乗り、1921年、2代目神田松鯉を襲名[1]。1965年、勲五等双光旭日章受章[1]。
道楽者として有名であり、講談の途中に駄洒落を入れるのが特徴だった[1]。阿部主計は「単調でダラダラと粘った口調のリズムや、抑揚も立体感もない退屈な演技」と評した[1]。6代目三遊亭圓生は「なぜ落語家にならなかったのか」と惜しんだ[1]。
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