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日本の安土桃山時代から江戸時代前期の武士 ウィキペディアから
真田 幸政(さなだ ゆきまさ)は、江戸時代前期の旗本。真田昌幸の甥で娘婿。真田信之・真田信繁とは従兄弟であり、義兄弟でもある。
真田昌幸の弟・真田信尹を父とする[1]。父と共に徳川家に仕え、慶長5年(1600年)に書院番、寛永8年(1631年)に使番に任命される。寛永9年(1632年)に父・信尹が死去し、遺跡を継いで3,000石を知行する。この際、弟・信勝に1,000石を分与する。同年、幼少であるため岡山藩から鳥取藩に移された池田光仲の元に赴き、国目付を務めた。承応元年(1652年)に鉄砲頭となる[2]。承応2年(1653年)に死去した。
正室は伯父の昌幸の娘で、昌幸の娘の中でも末の方に当たるとされている[1]。正室は明暦2年4月28日(1656年5月22日)に死去した[1]。
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