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江戸時代末期の藩主 (1855-1925) ウィキペディアから
田沼 意斉(たぬま おきなり)は、上総国小久保藩第2代(最後)の藩主(知藩事)。相良藩田沼家9代。
安政2年(1855年)7月、武蔵国岩槻藩主・大岡忠恕の五男として誕生した[1]。
明治2年(1869年)に小久保藩主田沼意尊の養嗣子となる。明治3年(1870年)2月22日、意尊の死去により家督を相続し、小久保藩知事に就任した。学問を奨励し、藩校を拡大するなどの文治政策を採用している。明治4年(1871年)2月14日、藩政を大参事に任せ、遊学することを許可される。同年2月25日、東京に移る。同年7月14日、廃藩置県により知藩事を解任された。
明治6年(1873年)11月、家督を意尊の長女の智恵に譲って隠居し、同時に田沼家からも離れた。谷中霊園に墓があり、大正14年(1925年)9月3日に70歳で死亡となっている。大岡忠恕の墓も隣接して建てられている。[要出典]
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