王弘ウィキペディア フリーな encyclopedia 王 弘(おう こう、太元4年(379年)- 元嘉9年5月29日[1](432年7月12日))は、中国の東晋末期に劉裕(南朝宋の武帝)に仕えた政治家。字は休元。本貫は琅邪郡臨沂県。東晋の大功臣王導の曾孫。祖父は東晋の中領軍の王洽。父は東晋の散騎常侍の王珣。劉裕に九錫をもたらし、また劉義隆(南朝宋の文帝)の下でも大いに参与し、最終官位は司徒に至った。
王 弘(おう こう、太元4年(379年)- 元嘉9年5月29日[1](432年7月12日))は、中国の東晋末期に劉裕(南朝宋の武帝)に仕えた政治家。字は休元。本貫は琅邪郡臨沂県。東晋の大功臣王導の曾孫。祖父は東晋の中領軍の王洽。父は東晋の散騎常侍の王珣。劉裕に九錫をもたらし、また劉義隆(南朝宋の文帝)の下でも大いに参与し、最終官位は司徒に至った。