狭山神社
大阪府大阪狭山市の神社 ウィキペディアから
大阪府大阪狭山市の神社 ウィキペディアから
狭山神社(さやまじんじゃ)は、大阪府大阪狭山市の狭山池の近くにある神社。式内社で、旧社格は郷社。
狭山神社の境内摂社である狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)についても、本記事で記述する。
天照皇大神と素盞嗚命を主祭神とし、臣狭山命(狭山連の祖神)・天児屋根命を配祀する。また、明治の神社合祀により大山祇神・稲田姫命を合せ祀る。
『神社要録』『河内国式神私考』『河内国式内社目録稿本』では臣狭山命を主神としている。室町時代ごろから江戸時代までは「牛頭天王社」とも称していた。
創建の年代は不詳であるが、崇神天皇の勅願により、狭山池の築造以前に創建されたという伝承がある。延喜式神名帳では、近隣の狭山堤神社(現 当社摂社)とともに大社に列格している。南北朝時代、当地は南北両軍の激戦地となり、たびたび兵火にかかった。現在の社殿は室町時代中期の明応2年の再建と推定されている。
明治5年(1872年)に郷社に列格し、明治40年1月に神饌幣帛料供進社に指定された。同年12月26日、字明神山にあった村社狭山堤神社を合祀した。また、明治40年には八雲神社(祭神 素盞嗚命)、明治42年には村社狭間神社(祭神 稲田姫命・大山祇神)を合祀した。
狭山堤神社 | |
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所在地 | 大阪府大阪狭山市半田1-223 |
主祭神 | 五十色入彦尊 |
社格等 | 式内社(大)・村社 |
狭山堤神社(さやまつつみじんじゃ)は、狭山神社の境内摂社である。式内社で、狭山神社合祀以前の社格は村社。
印色入日子命(五十瓊敷入彦命)を祀る。古事記・垂仁天皇記に「印色入日子命は、……狭山池を作り」とあり、狭山池の鎮守の神として印色入日子命を祀ったものである。『日本三代実録』によれば、貞観元年(859年)1月27日に従五位上の神階を授かった。延喜式神名帳では大社に列格している。
明治5年(1872年)、村社に列格した。明治40年(1907年)12月26日、郷社狭山神社に合祀され、同社の境内社となった。狭山神社拝殿に向かって左側にある。
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