源実朝
鎌倉幕府の第3代将軍 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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源 実朝(みなもと の さねとも、旧字体:源 實朝󠄁)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)
概要 凡例源 実朝, 時代 ...
源実朝像(『國文学名家肖像集』収録) | |
時代 | 鎌倉時代前期 |
生誕 | 建久3年8月9日(1192年9月17日) |
死没 |
建保7年1月27日(1219年2月13日) 享年28(満26歳没) |
改名 | 千幡(幼名)→実朝 |
別名 | 将軍家、羽林、右府、鎌倉殿、鎌倉右大臣 |
戒名 | 大慈寺殿正二位丞相公神儀 |
墓所 | 亀谷山寿福寺、金剛三昧院、白旗神社 |
官位 | (官職)右大臣、(位階)正二位 |
幕府 |
鎌倉幕府 3代征夷大将軍 (在任:1203年 - 1219年) |
氏族 | 清和源氏頼信流河内源氏 |
父母 | 父:源頼朝、母:北条政子 |
兄弟 | 千鶴丸?、大姫、頼家、貞暁、三幡、実朝 |
妻 | 西八条禅尼(坊門信清の娘) |
子 |
実子:なし 猶子:公暁 |
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鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男[注釈 1]として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。