毛利煕元
室町時代の武士、安芸国の国人、毛利光房の子、安芸毛利氏当主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
![]() |
武将の「毛利弘元」とは別人です。 |
毛利 煕元(もうり ひろもと)は、室町時代の武将。安芸国の国人・毛利氏当主。父は毛利光房。
![]() |
概要 凡例毛利 煕元, 時代 ...
時代 | 室町時代後期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 寛正5年2月5日[1](1464年3月12日) |
改名 | 少輔太郎(幼名)[1]→熙房[1]→煕元 |
別名 | 毛利熈元(異体字表記) |
戒名 | 大通院殿大樹光茂大居士[1] |
墓所 | 広島県安芸高田市の吉田郡山城跡内 |
官位 | 備中守[1]、治部少輔[1] |
主君 | 山名氏 |
氏族 | 大江姓毛利氏 |
父母 | 父:毛利光房[1]、母:不詳 |
兄弟 | 煕元、元忠[2]、女(山内煕通室[2]) |
妻 | 花庭善栄禅定尼(法名)[1][注釈 1] |
子 |
豊元[1]、元家[1]、女(山内時通室[3]) 養子:毛利親直(熊谷氏より)、女(井上光教室) |
テンプレートを表示 |
閉じる
幼名は少輔太郎。初めは父の1字を受けて煕房(ひろふさ)と名乗り、のち煕元に改名(「元」は祖先の大江広元や曽祖父・毛利元春の偏諱に由来するもので、煕元以降の当主も代々通字として使用することとなる)。なお、「煕」の字は当時毛利氏が従属していた安芸・備後守護・山名時熙の偏諱を受けたものである。