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『母』(はは、露: Мать、ラテン語表記:Mat)は、1926年に制作されたソビエト連邦のモノクロサイレント映画で、監督はフセヴォロド・プドフキン。ロシア第一革命時、ツァーリ支配に抵抗した一人の女性を描く[1]。『聖ペテルブルクの最後』(1927年)[2]、『アジアの嵐』(1928年)へと続くプドフキンの「革命三部作」の第1作[3]。 エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、ドヴジェンコの「大地」とともに、ソビエト・サイレント映画の三大名作の一つと言われている[4]。
母 | |
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Мать | |
ポスター | |
監督 | フセヴォロド・プドフキン |
脚本 |
ナターン・ザルヒ マクシム・ゴーリキー (原作) |
出演者 |
ヴェラ・バラノフスカヤ ニコライ・バターロフ |
音楽 |
ダヴィド・ブロク (1935年版) ティホン・フレンニコフ (1970年版) |
撮影 | アナトリー・ゴロブニヤ |
製作会社 | メズラポンフィルム |
公開 |
1926年10月11日 1970年11月24日 |
上映時間 | 89分 |
製作国 | ソビエト連邦 |
言語 | 無声 |
帝政ロシア期、ペラゲーヤには飲んだくれの夫ウラーソフと、真面目な息子パーベルがいた。息子は労働者運動に身を投じ、一方、夫はそれに敵対するスト破りの仲間に入る。ある日、工場で両者は衝突、ウラーソフは射たれて死んでしまう。自宅に武器を隠し持っていたという理由でバーベルが逮捕される。茶番のような裁判の末、息子は懲役刑に処せられる。母親は現実を学び、革命運動に参加。数百人のデモ隊と一緒に刑務所に押し寄せる。囚人たちが解放され、母子は再会するが、皇帝軍の鎮圧によって母子とも殺されてしまう。
日本では「戦艦ポチョムキン」ともども、戦前には輸入を禁止されていた。 1935年、ダヴィド・ブロク作曲によるサウンド版が完成。 1968年、モスフィルムによって復元が行われ、新たにティホン・フレンニコフの音楽が加えられた[7]。 日本では、この復元版が1970年に初公開された。
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