武家諸法度
1615年、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の名で制定された幕府による諸大名統制のための法典 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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武家諸法度(ぶけしょはっと)は、江戸時代初期の1615年に江戸幕府が諸大名の統制のために制定した基本法[1](武家法)である。ここでいう武家とは天和令までは旗本御家人や藩士(幕府からみた陪臣)など広い意味での武家は含まず、大名のことを指す(幕臣については武家諸法度を照応した諸士法度で規定され、天和令において統合された)。
最初は元和元年、1615年(正確には慶長末年)に徳川秀忠によって発布されたもの(元和令)だが、徳川吉宗による享保2年(1717年)の享保令まで改定が重ねられた。