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横瀬 貞臣(よこせ さだおみ)は、江戸時代中期の高家旗本・歌人。高家横瀬家(表高家)4代当主。官位は従四位下・侍従・駿河守。近世武家三歌人の筆頭とされる。
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享保18年(1733年)、横瀬貞国の次男として誕生。実兄・横瀬貞隆の末期養子となる。
宝暦13年(1753年)2月15日、10代将軍・徳川家治に御目見する。明和2年(1765年)3月7日、家督を相続する。安永2年(1773年)8月12日、高家職に就き、従五位下・侍従・駿河守に叙任する。後に従四位下に昇進する。寛政12年(1800年)10月25日、死去。享年68。
寛政6年(1794年)閏11月3日、11代将軍・徳川家斉に命じられ、鉢に植えた梅を題にした和歌を数首詠み献じるなど、寛政期の歌人として知られている。歌道に精通していたことは、高家として朝廷と交渉する立場上、非常に有利に働いたとされる。
娘の千枝子や美弥子らも歌を能くした。
貞臣は同じく幕臣の石野広通・内藤正範と共に近世武家三歌人の筆頭に名が挙げられている。冷泉家に入門し冷泉流の歌道を極め、また、武家随一の定家様の書き手であった。
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