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朝鮮神話の神 ウィキペディアから
桓因(かんいん、ファニン)は朝鮮神話(檀君神話)における帝釈天(インドラ)。「桓因」とは仏教に登場する「帝釈天」の別名である[1]。
『三国遺事』は「古記」(現存せず)を引用する形で、桓因とその子・桓雄について次のように書いている。
《古記》云:昔,有桓因(謂帝釋也)庶子桓雄,數意天下,貪求人世。父知子意,下視三危太伯可以弘益人間,乃授天符印三箇,遣往理之。雄率徒三千,降於太伯山頂(即太伯今妙香山)神壇樹下,謂之神市,是謂桓雄天王也。將風伯雨師雲師,而主穀主命主病主刑主善惡。凡主人間三百六十餘事,在世理化。 — 三国遺事、巻第一、紀異第一
桓因に対しては注釈で、帝釋[注 1]ともいう、と書かれている。
桓因の庶子である桓雄(かんゆう、ファヌン)は下界に興味を持ったので、桓因は桓雄に下界を治めるよう命じ天符印を与え、桓雄は太伯山(三國遺事の注釈では妙香山のことであると明記されているが、白頭山とする説も散見される)の神檀樹に部下3,000人と共に天下って「神市」という国を築いた。桓雄はある熊の願いをかなえて女にし、この熊女(ゆうじょ、ウンニョ)との間に子をもうけた。これが檀君王倹(檀君)であり、朝鮮最初の国家である檀君朝鮮を築いた人物であるとされる[1]。
李氏朝鮮の実学者である安鼎福は、「按ずるに東方古記等の書言ふ所の檀君の事皆荒誕不経、…其の称する所の桓因帝釈は法華経に出づ。其の他称する所は皆是れ僧談」と述べており、紀元前2333年に即位したとされる檀君の説話に、多数の仏説が登場することから、檀君の説話を荒唐無稽と評している[2]。ちなみに、仏教は372年に朝鮮半島に伝えられた。
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