朝香宮鳩彦王
日本の旧皇族。久邇宮朝彦親王の八男。朝香宮初代(皇籍離脱)。大日本傷痍軍人会総裁 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年〈明治20年〉10月2日 - 1981年〈昭和56年〉4月12日)、または朝香 鳩彦(あさか やすひこ)は、日本の旧皇族。旧陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子[1]。明治39年3月、朝香宮家を創設[1][2]。妃は明治天皇第8皇女允子内親王[1]。兄に久邇宮邦彦王、梨本宮守正王、弟に東久邇宮稔彦王。長男孚彦王、二男音羽正彦[1]。1947年(昭和22年)10月14日に皇籍離脱した。最終階級は陸軍大将。勲等は大勲位功一級。「ゴルフの宮様」と呼ばれた[3][4][5][6]。第125代天皇明仁の大叔父にあたる[7]。陸軍大将であったため、朝香大将宮殿下(あさかたいしょうのみやでんか)とも呼ばれた[8]。