Loading AI tools
室町時代後期の武士 ウィキペディアから
朝倉 将景(あさくら ゆきかげ/まさかげ)は、室町時代中期の武将。越前国鳥羽[1]に領地があったと考えられ、姓を「鳥羽」とすることもある。
朝倉氏5代当主・朝倉教景の子として誕生。斯波義将から偏諱を受けているため、応永17年(1410年)以前の生まれと思われる。
7代当主となった甥の孝景とは反目し、長禄2年(1458年)に始まった守護斯波義敏[2]と守護代・甲斐常治との合戦(長禄合戦)では、守護側に与して孝景と対立した。翌長禄3年(1459年)8月11日、越前足羽郡和田荘の合戦で堀江利真と共に孝景らに討ち取られた。子・景正も和田での合戦で討ち取られたが、将景の曾孫である朝倉景富[3]が鳥羽家を継いでいる。
娘は孝景に嫁いでおり、孝景とは義理の親子関係にある。彼女との間に氏景が生まれた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.