日本仏教の戒律史
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日本仏教の戒律史(かいりつし)では、日本の仏教における戒律の歴史について記述する。戒律史は戒律思想史[注釈 1]ともいう。
戒律とは本来は異なる意味をもつ、戒(良い習慣)と律(僧侶集団の規則)を合わせた用語である[2]。鑑真が日本に戒律を伝えて以来、その歴史は破戒と持戒を繰り返してきた。沖本克己は破戒の大きな屈曲点として、最澄による大乗戒壇設立と明治政府が肉食妻帯が許した事の2点を挙げるが、一方で破戒の原因はそうした事件ではなく、日本仏教に一貫して戒律を軽視する流れがあり、それらの根幹は日本仏教を支え利用した人々とそれを可能にした日本文化と日本人の体質であると指摘している[3]。松尾剛次は、そうした中で戒律復興を主張する叡尊らや無戒を主張する親鸞らが活躍すると共に、日本における戒律は僧侶と俗人を分かつ行動規範という本来の意味を離れ、儀礼的あるいは呪術的な役割を持つように変化してきたと指摘している[4]。