勧修寺晴子
誠仁親王の女房。准三宮、女院。子に永邵女王(1570.1-1580.5.30、大聖寺、華岳永邵、放光院)、四男(1575、夭折) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
勧修寺 晴子(かじゅうじ はるこ、1553年(天文22年) - 1620年3月21日(元和6年2月18日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。誠仁親王(正親町天皇の第 5皇子)の女房。後陽成天皇の生母(国母)。女院。
概要 勧修寺 晴子, 第107代天皇母 ...
勧修寺 晴子 | |
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第107代天皇母 | |
新上東門院 | |
院号宣下 | 慶長5年12月29日(1601年1月23日) |
誕生 | 天文22年(1553年) |
崩御 |
元和6年2月18日(1620年3月21日) |
陵所 | 月輪陵 |
諱 | 晴子 |
別称 | 阿茶局 |
氏族 | 藤原朝臣(藤原北家勧修寺流) |
父親 | 勧修寺晴右 |
母親 | 粟屋元子 |
配偶者 | 誠仁親王(陽光院) |
結婚 | 永禄10年(1567年) |
子女 |
永卲女王 後陽成天皇 空性法親王 良恕法親王 興意法親王 智仁親王 他 |
身位 | 女房 → 准三宮(国母) → 女院 |
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院号は新上東門院(しんじょうとうもんいん)。