敦昌親王
ウィキペディア フリーな encyclopedia
敦昌親王(あつまさしんのう、生没年不詳[1])は、平安時代中期の皇族。小一条院敦明親王の王子で、母は最初の妃である藤原延子。
導入部には定義、基礎データ、記事本文の要約を記してください。その他の記述で雑多になってしまっています。 |
この項目は内容が専門的であり、一般の閲覧者にはわかりにくくなっているおそれがあります。 |
この項目の現在の内容は百科事典というよりは辞書に適しています。 |
長元2年(1029年)6月7日同母兄敦貞および寛子腹の異母弟妹とともに三条皇孫として親王宣下し、同年8月19日元服したのち、10月20日出家して明行と称し、永円僧正の弟子として三井寺(園城寺)に住した。