我思う、ゆえに我あり
ウィキペディア フリーな encyclopedia
「我思う、故に我あり」はこの項目へ転送されています。穂積安光のエッセイについては「我思う、故に我あり (穂積安光のエッセイ)」をご覧ください。 |
「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis[1]、羅: Cogito ergo sum)は、デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われているが、一様でなく、その解釈について争いがある。ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセル(Étienne de Courcelles)がラテン語に訳し、デカルト自身が校閲し[2]、Ego cogito, ergo sum, sive existo との表現がされている。デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』(Principia philosophiae)ではego cogito, ergo sum[3]、『省察』では、Ego sum, ego existo [4]と表現されている[5]。
ウィキクォートにルネ・デカルトに関する引用句集があります。
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。