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日本の栃木県を流れ、渡良瀬川に注ぐ川 ウィキペディアから
流域は栃木県中西部から南部。栃木市川原田町の白地沼(しらじぬま)を水源とし、思川小倉堰(栃木市西方町本城)の分水と合流、広い平野を南に流れていく。栃木市の市街地中心部では歴史ある蔵が立ち並ぶ景観の中を流れ、南西に転じ渡良瀬遊水地に入り、栃木市藤岡町石川で渡良瀬川に合流する。渡良瀬遊水地と栃木市大平町伯仲・小山市大字中里付近間は国土交通大臣が管理する直轄管理区間[2]。
「ウズを巻き、波を立てて流れる」という意味に由来する。近世には「宇津間川」、「鶉妻川」などとも表記された[3]。
中世から江戸川と通じた舟運の盛んな川で、栃木市内には蔵造りの建造物が多く残り「蔵の街」として親しまれている。舟運の始まりは、江戸時代に徳川家康の霊柩を久能山から日光山に改葬した際に、日光御用の荷物を栃木河岸に陸揚げしたことが端緒である。その後、物資の集散地として江戸との交易で隆盛を極めた[4]。現在は、錦鯉が放流されており、船頭による舟歌が楽しめる観光用の舟(蔵の街遊覧船)が行き来する。
明治時代に堤防が築かれる以前はたびたび氾濫し、橋をかけても2年ともたないと言われたほどであった。氾濫を鎮めるために人柱を立てたという伝説も残っており、「巴波川悲話」として栃木市の塚田歴史伝説館などで紹介されている(幸来橋#伝承・逸話を参照)。
近代以降においては、1947年(昭和22年)16日、カスリーン台風襲来の際に旧部屋村内で堤防が決壊、部屋村の全戸と旧生井村の6割が浸水する大洪水となり、多くの被災者を出した[6]。また、2015年(平成27年)9月の関東・東北豪雨、2019年(令和元年)の東日本台風襲来の際にも氾濫し、被害を出した[7][8]。
栃木市内には多くの錦鯉が生息している。最盛期、鯉の数は県庁堀と合わせて10万匹にまでなったとも言われている[9]。
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