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北条氏の分流 ウィキペディアから
宗政流北条氏(むねまさりゅうほうじょうし)は、鎌倉時代の北条氏の分流。得宗家から分家した一族で、始祖は北条宗政の子・北条師時である。
北条宗政は第5代執権・北条時頼の子で、第8代執権・北条時宗の同母弟に当たる。兄・時宗の補佐役として枢機に参政したが、弘安4年(1281年)8月9日に29歳で死去した[1][2]。
宗政の跡を継いだ嫡子の師時は、時宗の猶子となる。また時宗の子で第9代執権となった北条貞時の従兄弟に当たり、兄弟のいない貞時に兄弟同然に扱われて幕政の中枢で重用された。正安3年(1301年)8月22日、貞時が執権職から退いたため、第10代執権に任命され、貞時の嫡子・北条高時が成長するまでの代つなぎとされた[3]が、応長元年(1311年)9月22日に37歳で死去した[3]。
師時には時茂と貞規という2人の息子がおり、2人とも引付衆にまで任命されているが早世している。また宗政の子に師時の弟たちも何人かいたが、これも僧侶となるか早世したものと思われ、師時の系統は貞規を最後に歴史に登場することはない。
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