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姉小路 公朝(あねがこうじ きんとも)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。権中納言・姉小路実尚の次男。官位は正二位・権中納言。
文永7年(1270年)従五位下に叙爵。文永8年(1271年)従五位上に進み文永11年(1274年)侍従に任ぜられる。建治3年(1277年)左近衛権少将に任ぜられ、建治4年(1278年)正五位下に叙される。弘安3年(1280年)従四位下・右近衛権少将に叙任。弘安8年(1275年)従四位上に昇り、弘安11年(1278年)正四位下・左近衛中将となる。
近衛府右近衛中将を経て、正安元年(1299年)後伏見天皇の蔵人頭に補される。正安2年12月(1301年2月)参議に任ぜられ公卿に列す。正安3年(1301年)3月伊予権守を兼任。同年4月に従三位に叙されるが、小除目により公朝と同日に参議に任じた持明院保藤・藤原俊雅らと共に辞任する。
徳治2年(1307年)正三位に叙される。延慶3年(1310年)従二位に叙され、正和2年(1313年)権中納言に任ぜられるが、わずか1ヵ月後に辞退した。納言に任じた後着陣することは無かった。正二位に叙され、本座を聴される。文保元年(1317年)9月3日に出家し、23日に薨去した。
※以下、註釈の無いものは『公卿補任』・『姉小路家譜』の記載に従う。
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