姈子内親王
鎌倉時代後期の皇族・歌人。後深草天皇の第三皇女。後二条天皇の准母・皇后宮。のち後宇多上皇の妃。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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姈子内親王(れいしないしんのう、文永7年9月19日〈西暦換算1270年10月5日〉- 徳治2年7月24日〈1307年8月22日〉)は、鎌倉時代後期の皇族・歌人。後宇多天皇の後宮、尊称皇后、女院。院号は遊義門院(ゆうぎもんいん)。父は後深草天皇 、母は中宮 西園寺公子(東二条院)。
概要 姈子内親王, 第94代天皇准母 ...
姈子内親王 | |
---|---|
第94代天皇准母 | |
皇后 | 弘安8年(1285年)8月19日 |
遊義門院 | |
院号宣下 | 正応4年(1291年)8月12日 |
誕生 |
文永7年9月19日 (1270年10月5日) |
崩御 |
徳治2年7月24日 (1307年8月22日) |
父親 | 後深草天皇 |
母親 | 西園寺公子(東二条院) |
配偶者 | 後宇多天皇 |
内親王宣下 | 文永8年(1271年)1月7日 |
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和歌に優れ、『新後撰和歌集』以後の勅撰集に計27首が入集している[1]。女房には、二条派の代表的歌人である二条為子(尊治親王 のちの後醍醐天皇 の正妃)や、遊義門院一条局(同側室)らがいた。