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中国の史書に現れる、ローマ帝国を指すとされる国家 ウィキペディアから
大秦(だいしん)は、中国の史書に記載されている国名で、ローマ帝国、のち東ローマ帝国のことを指すとされる。
「ローマ帝国」を現代中国語で書くと「羅馬帝国」となる。
「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」
「桓帝の延憙九年(166年)に大秦国王の安敦(アントン)が遣わした使者が日南郡に訪れて象牙・犀角・玳瑁を献上した。初めて(大秦と漢は)交流を持つことができた[2]」
「大秦には普段は王はおらず、国に災難があった場合には優れた人物を選んで王とする。災難が終われば王は解雇されるが、王はそれを恨まない」
「呉の黄武五年(226年)に大秦の商人で字を秦論という者が交阯にやってきた。交趾太守の呉邈が孫権のもとに送り、拝謁させた。孫権が大秦の地理や風俗について訊ねたので、秦論は詳しくそのことについて回答した」
「大秦より使者が訪れた。(中略)国王の名を滅加伊霊改撒(ミカイルカイザー)という。かつて九百余年前に朝貢したがその後朝貢せず、今再びやって来た」
補足 『宋史』巻490・列伝第249「外国六」の「拂菻」の条では、北宋の元豊四年=1081年に朝貢使を派遣してきた「拂菻国」(東ローマ帝国のことか)の王の名を「滅力伊霊改撒」と記す。
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